アントニオ猪木氏が明かすジャイアント馬場さんとの秘話、お下がりの背広と1杯のラーメン…2・19「ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~」

永遠のBI砲、ジャイアント馬場(左)とアントニオ猪木
永遠のBI砲、ジャイアント馬場(左)とアントニオ猪木

 参議院議員で元プロレスラーのアントニオ猪木氏(75)が18日までにスポーツ報知の取材に応じ、19日に両国国技館で開催される「ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~」のオープニングで登場することへの思いを明かした。

 同大会は、猪木氏が創設した新日本、馬場さんが設立した全日本、さらにはプロレスリング・ノア、大日本などから選手が参加するオールスター戦となった。1998年4月4日の引退から20年を経た今、猪木氏は、リングからどんなメッセージを送るのか。

 「オレの中で一番大事なことは、自分なりの信念。形はないけど、こういう生き様があるということですね。そこには、ファンへ夢を送らないといけない。そんな生き様を感じてくれればいい」

 国技館には、ミル・マスカラス、さらにはアブドーラ・ザ・ブッチャーの引退式など往年のスターも参戦する。中でもデスマッチ路線でスターになった“邪道”大仁田厚も出場する。

 「オレは、好きじゃないけど、大仁田も一時の低迷した時期にオレらとは違う部分でのプロレス人気を集めた。オレらと違う路線に回ったのは、しょうがないんだけど、みんな、それぞれの時代に役を背負っていたと思う」

 大会は、永遠のライバルと評され、1999年1月31日に61歳で亡くなったジャイアント馬場さんの追善興行となる。馬場さんとは、同じ1960年4月に日本プロレスに入門し、デビュー戦も同じ9月30日で、以来、2人はライバルとして幾多のドラマを展開してきた。

 「ライバルとか何とか言われましたけど、年も5歳違いましたし、2人の関係は悪くなかったんですよ。ライバル関係も勝手に世の中が作り上げたような形で周りの環境がそうさせた部分がありました。ただ、どの分野でもライバルがいないスターという存在はいないですから、そういう意味でありがたかったですね」

 こう振り返ると思い出話を打ち明けてくれた。

 「思い出話を言えば、若手のころ、オレらは小遣いしかもらえないから背広なんか買えなかった。だけど馬場さんは、スターだったから背広を持っていてね。そのお下がりをオレにくれたんですよ。だけど、こんな大きいサイズの背広をもらったって着れないよって(笑い)。ジャイアント馬場の背広のお下がりはさすがに着れませでしたね」

 2人でラーメン店に行った時のことも鮮明に覚えている。

 「1杯のかけそばじゃないけど、2人でラーメンを分け合って食べたこともありました。昔、日本プロレスの道場の近くで人形町に『六さん』っていうラーメン屋がありまして、そこはツケがきいたりして選手の行きつけだったんです。そこへ馬場さんと2人で行って、1杯ずつ食べたんですが、お互いに1杯じゃ足りないから、もう1杯食べたいなって言って、追加で頼んだ1杯を半分ずつ分け合って食べたこともあります」

 力道山亡き後の日本プロレスをBI砲のタッグで支えた両雄は、1971年12月に猪木氏が日本プロレスを追放され、翌72年3月に新日本プロレスを旗揚げ。馬場さんも同じ年の10月に全日本プロレスを設立した。以降、両団体は激しい興行合戦を繰り広げた。

 「あの当時は、相手を意識している暇はありませんでした。自分たちが生きていかないといけないということがまずありましたから、その場所を作らないといけないという思いでしたね」

 袂(たもと)を分かった2人が交わった時が1979年8月26日、日本武道館で行われた「夢のオールスター戦」だった。猪木氏と馬場さんは、メインイベントでタッグを再結成し、アブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シンと戦い猪木氏がシンを破った。試合後は、猪木氏がマイクを持ち馬場さんに対戦を迫るシーンがあった。

 「本来なら、やらなきゃいけない宿命だと思ったからマイクでアピールしたんですが、ぶっちゃけて言うと、ファンには申し訳ないけど、やらないって分かってましたよ。だから、逃げることになるのは、向こうだから気の毒なことしたなと思いましたよ。だけど、みんなが対戦を見たいと思っていたわけですよ。それを理由をつけてどうのこうのっていうのは、おかしいことだって思ってました。戦いに来ている人間が戦わなかったらどうするんだって。オレは、計算なんかしてないから、単純にそう思って訴えただけのことなんです」

 昭和から平成にかけてプロレス黄金時代を築いた猪木氏と馬場さん。今のプロレスラーへ猪木氏はメッセージを送った。

 「超満員の会場でリングに上がると、そこからもらうエネルギー、快感というものがあります。会場を埋めた1万人、2万人を手にのっけている快感というものを、若い選手が感じて、その中からオレが今度はドームでも満員にしてやるみたいな、思いを持ってくれたらいい」

 猪木氏は1995年4月28、29日に北朝鮮の平壌のメーデースタジアムで「平和のための平壌国際体育・文化祝典」を開催し、29日には19万人の前でリック・フレアーと戦った。

 「オレは19万人を経験していますから。あれは、すごかったですね。歓声が波を打つように感じたことは、あの時が初めてで後もありません。ですから、これからの選手にもそういうような経験をして欲しい。今あることに満足するんじゃなくて、その先のもっと新しい時代を自分の肌で感じて欲しい」(取材・構成 福留 崇広)

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