再建ではなく新生へ 名門・沖縄水産監督に就任した巨人・宮国の恩師の“挑戦”

2年連続甲子園準優勝の顕彰碑の前に立つ沖縄水産・上原監督
2年連続甲子園準優勝の顕彰碑の前に立つ沖縄水産・上原監督

 現在、楽天担当として沖縄・久米島での1次キャンプ、沖縄・金武(きん)町に場所を移した2次キャンプを取材しているが、先日、沖縄水産に足を運んできた。楽天など複数の球団が、エース右腕・国吉吹(いぶき)投手(2年)を今秋のドラフト候補にリストアップしているからだ。

 沖縄水産と言えば、名将・栽弘義監督に率いられ、90、91年夏の連続準優勝など甲子園通算12度出場を誇る全国的な強豪校。胸に「沖水」と書かれたアイボリーのユニホーム。そして、黒の帽子に金糸で刺しゅうされた「沖水」の文字。野球少年だった当時の私には、とてもまぶしく見えたものだ。

 だが最後に甲子園に出場したのは、エース・新垣渚(元ソフトバンク)を擁した98年夏。栽監督も07年に亡くなった。もう20年も聖地から遠ざかっている。沖縄水産が甲子園に戻ってくる日を楽しみにしている高校野球ファンも多いのではないか。

 現在、同校を率いているのは上原忠監督(56)。中部商と糸満の監督としてそれぞれ2度ずつ甲子園出場に導き、糸満監督時代には巨人・宮国を育てたことでも知られる。16年4月に就任し、昨秋には県大会を制して九州大会にも出場。県内屈指の名将に再建を託されたかつての名門が、順調に往年の輝きを取り戻しつつある―と勝手に思いこんでいたが、実際は違った。

 上原監督は苦笑いを浮かべながら言った。「県立高校の定期の人事異動で来ただけなので、呼ばれたとかじゃないです。僕が来た時には、2年生7人、1年生13人の計20人しかいなくて、用具も整ってないし、施設はボロボロ。外野フェンスはささくれ立って有刺鉄線みたいになってて、ぶつかったら刺さるぐらいだったんですよ。どん底からのスタートでした」

 打撃マシンは1台もなく(現在は6台)で、ネットもあちこちが破れていた。栽監督の時代には控え組が練習していたサブ球場(両翼95メートル、中堅120メートル)は、部員が少なくて使う必要がなかったこともあり、草ぼうぼうの荒れ放題で朽ちていたという。

 それが、上原監督が就任したことで、県内全域から有力中学生が入学してくるようになった。現在は1、2年生ともに42人ずつ、2学年で計84人もの部員がいる。学校には寮があり、久米島出身の国吉ら離島から入学してきた部員も10人ほどいる。

 指導陣と設備も大きな魅力だ。上原監督以下、部長、副部長3人の教員5人のほか、91年夏の甲子園準V時の主将だった屋良景太さんら外部コーチが4人。また、近隣に砂ぼこりが飛ぶのを防ぐため、メイン球場(両翼100メートル、中堅122メートル)とサブ球場を立て続けに改修。昨年4月と12月に相次いで完成した。指揮官は「これで、さらに実力のある中学生に来てもらえるようになるのではないか」と言う。

 名門復活は目の前まで来ている。だが、上原監督は首を振る。「OBや大人たちは、強かった沖縄水産をもう1度復活させてほしいという雰囲気が強いです。でも、今の選手たちは強かった時代を知らない。沖水復活というよりは、ゼロから新生・沖水を作り上げて甲子園に行きたいと思ってます」。以前は長時間のスパルタ指導が当たり前だったが、現在は週1度の休日を与え、勉強にも取りませている。

 もちろん、築き上げてきた歴史を否定しているわけではない。「選手たちには、伝統や実績を自信にしてもらいたい。それで新生・沖水が甲子園に出場したら、それがかつての沖水とつながって、世間的には名門・沖水復活となると思うんです」

 現在の沖縄の高校球界は、興南と沖縄尚学の2強時代だ。「浦添商、美里工、中部商、嘉手納…。その下は横一線ですけど、僕はその中からポンと抜け出て、東西の横綱に割って入りたいんです。沖縄水産が強くなれば、喜んでくれる方、応援してくれる方は多いと思うので」。同校名物のセーラー服姿の応援団がアルプス席に戻ってくる日が、今から待ち遠しい。(記者コラム・片岡 泰彦)

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