【駅ペン】昭和の最後駆けた男が平成最後に勝った

箱根駅伝で総合優勝し、胴上げされる東海大の両角速監督
箱根駅伝で総合優勝し、胴上げされる東海大の両角速監督

◆報知新聞社後援 第95回東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)復路(3日、芦ノ湖―東京・読売新聞東京本社前、5区間=109.6キロ)

 昭和最後の箱根駅伝を駆けた両角選手が、平成最後の箱根駅伝で両角監督として勝った。

 昭和64年の1989年大会。東海大4年生だった両角監督は花の2区を担い、区間9位で走った。当時、私は東洋大1年生。「『速』って、すごい名前だ」と東海大のエースにビビッたことをよく覚えている。その大会、私はぎりぎりメンバー入りして出場できたが、8区14位と大ブレーキ。もちろん、苦い思い出としてよく覚えている。

 今大会に向けて「平成最後」というキーワードで取材や調べ物をしている中で、私自身、実は昭和最後の大会と平成最初(平成2年、1990年)の大会に出場していたことに今さらながら気がついた。ただ、学生時代、そんなフレーズについて、思いは及ぶはずもなかった。当たり前だが、両大会に大きな違いはなかった(残念ながら成績も区間14位と13位と大差はなし)。

 今大会、メディアの一員として「平成最後」のフレーズを何度も使ったが「平成最後だ」と気構えて走った選手はいないだろう(いつか、私と同じようなオジさんになった時に実感を持つかもしれないが)。

 ランナーは1秒でも速くタスキをつなぐ―それだけを考えて全力を尽くす。そんな姿が多くの人に支持されていると思う。箱根駅伝は1920年、大正9年に始まった。昭和、平成、そして、次の時代も箱根駅伝が変わらずに続くことを強く願う。

(箱根駅伝担当・竹内 達朗)

 ◆竹内 達朗(たけうち・たつお)1969年11月6日、埼玉・戸田市生まれ。49歳。88年、川口北高から東洋大に入学。箱根駅伝には3回出場も1年8区14位、2年3区13位、3年3区14位とブレーキ連発。4年時は予選会で敗退。泣く泣く競技の道を断念し、92年に報知新聞社入社。以来、サッカー、ゴルフ、陸上など担当。足で稼ぐ取材が身上で、青学大の原監督に「昭和の記者」と呼ばれている。

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