船木誠勝が明かす「UWF」の真実…「パンクラス」で絶対に必要だった選手は…元日に考える「プロレス」と「U」と「格闘技」と 

憧れのタイガーマスク(右)と船木誠勝
憧れのタイガーマスク(右)と船木誠勝

 昨年、デビュー33年を迎えたプロレスラー、船木誠勝(49)が元日、スポーツ報知の取材に応じ、「UWF」への思いを明かした。

 1984年に新日本プロレスへ入門し85年3月、当時史上最年少の15歳でデビュー。以後、UWF、プロフェッショナルレスリング藤原組へ移籍しパンクラスを旗揚げ。2000年5月にはヒクソン・グレイシーと対戦するなど波乱万丈のレスラー人生を歩んできた。

 中でも昨年まで「UWF」についての書籍が多数出版され、プロレス本業界では「UWFブーム」となっている。91年1月にUWFが解散し今年で28年となるが今、「UWF」について何を思うか。船木に聞いた。

 「UWFはプロレスが変わる瞬間だったと思う。自分も移籍するとき新しいプロレスが始まると思って決意しました。それが変わって、変わって総合格闘技になるんですが、そこまでは誰も望んでいなかったと思います」

 当時は、ファンがプロレスと格闘技を同じジャンルだと思って見ていた。

 「プロレスラーも普通にやってみんな同じ格闘技の選手と戦えると思っていた。そうじゃないんですね。格闘技はやった人間じゃないと対抗できなかった。自分たちは、あの時、たまたまその場所にいた。プロレス代表で格闘技のリングに上がった時は、そこには誇りをもっていました。格闘技が自分のプロレスだと思っていましたから、だからややこしくなっていた。それは、すべて見る人が決めることなんです」

 1984年4月に旗揚げしたUWFは、同年7月に初代タイガーマスクの佐山サトルが参加してから従来のプロレスとは一線を画し、厳格なルールとロープワークなプロレスならではの動きを廃止しより格闘技に近いプロレスを標榜した。しかし、興行的には散々で佐山が退団し85年12月に新日本プロレスと提携した。

 翌86年から新日本に本格参戦したが、87年11月に前田日明が6人タッグマッチで長州力の顔面を蹴り上げ負傷させたことをきっかけに解雇され、高田延彦、山崎一夫らが追随し88年5月に新生UWFを旗揚げした。月1回の試合と格闘スタイル、そして斬新な会場演出で爆発的な人気を獲得し船木は89年4月に新日本プロレスを退団しUWFへ参加した。

 ただ、91年1月に前田とフロントの対立で解散し3派に分裂。船木は「藤原組」を経て自らの理想を追求する「パンクラス」を93年9月に旗揚げした。パンクラスの試合はプロレスではなく格闘技に様変わりし2000年5月26日に東京ドームでヒクソン・グレイシーに敗れ格闘家として引退した。その後、07年に復帰し09年8月からプロレスラーとしても活動を再開した。

 UWFからパンクラスで格闘技へ舵を切った時の心境を明かす。

 「結果、それをやるしかなかった。方法が見つからなくてやってしまった。それで生き延びてこれたからあのときはあれしかなかった。あの時はこれで大丈夫かなと思いましたが、自分はプロレスファンだったので、プロレスラーが本気で試合をしたらどうなるんだろうって思ってました。遊びのない試合をやったら、強いのはプロレスラーだと思っていましたし、自信をもっていたと思います。自分さえ試合していたら生活なんてどうにもなるって思っていた」

 パンクラスを設立した時に最大の条件がケン・シャムロックとの契約だった。シャムロックは新生UWFの末期に参戦し、格闘スタイルのプロレスに順応し高い評価を得ていた。

 「シャムロックは絶対に必要でした。あの時は、相手がキックボクサーかアマレスか柔道家しかいなかった。1人だと何もできませんから、同じプロレスラーでそういう試合ができるの彼しかいなかったんです。ですから、パンクラスを旗揚げするときに、まずやったことはシャムロックと1年契約することが先決でした。旗揚げ戦の時に鈴木(みのる)にやる?って聞いたら船木さんやってくださいって言って、鈴木は自分は第1試合やりますんでと言ったので、メインと第1試合が決まったんです」

 シャムロックとは新生UWFのラストマッチとなった90年12月の長野・松本大会で対戦し逆エビ固めで勝ったが、パンクラス旗揚げ戦ではシャムロックの肩固めに敗れた。

 「UWFの最後の試合とパンクラスの旗揚げ戦は試合の中身がまったく違います。パンクラスの時は取れるなら取ってもいいよと話しました。シャムロックは取ってもいいのかって喜んでいました。彼はその後、WWF、UFCとかいっても光っていたから何をやってもセンスがありました」

 プロレスから格闘技へ移り、そして、今プロレスに戻っている。

 「自分のプロレスを突き詰めたら格闘技になってしまったんですが、やってきたことへ後悔はないですね。突き詰めれば格闘技になっていたのは、あの時の自分なりの答えで格闘技は負けたら辞めなきゃいけない厳しい道だと思っていた。再戦はないというのが答えだったのでヒクソンとはそういう気持ちでやりました」

 デビューから33年を経て今のプロレスラーへの思いがある。

 「33年経ち、いろいろありましたが、プロレスと格闘技の色分けが完全にできた今、そういうものにこだわらないでプロレスに戻って来た。自分は、格闘技をやるつもりでプロレスを始めたわけではなかった。いろいろあってそうなってしまった。今はまた元のいる場所に戻って来た。その上で今、必要最小限プロレスをやる人間は戦いを覚えておいて欲しい。戦いを磨いて欲しい。プロレスは戦いを表現するものだと思うので戦いを知らずして表現できませんから」

 今年3月にデビュー34年を迎える。

 「今は、3年前からフリーなんで声がかからなった時点で終わりと決めてここまで来ました。今年は、34周年の記念試合的な試合をどっかの団体、大会で1試合やりたいと思っています」

(取材・構成 福留 崇広)

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