鹿島は27日、元日本代表MF小笠原満男(39)が今季限りで現役から引退すると発表した。1998年に大船渡高から鹿島入り。イタリア1部(当時)メッシーナに期限付き移籍した2006年夏~07年夏を除いて、20年にわたり鹿島をけん引し、17個のタイトル獲得に貢献した。日本代表として02、06年大会に出場するなど、一時代を築いた。21年、日本サッカー界を引っ張ってきた名MFがユニホームを脱ぐ決断を下した。決断の経緯、第二の人生については近日中に開かれる会見で明らかにされる。
ミスター・アントラーズが21年のプロ生活に終止符を打った。関係者によると、MF小笠原は11月下旬、クラブとの契約交渉の席上「僕から話が」と切り出し、「前々から考えていたけど、引退というか長期の休みを取ろうと思います」と申し出たという。家族に相談していないこと、契約延長を望んでいたことからクラブは再考を促したが、12月上旬に決断が変わらないことが確認された。
小笠原は1998年に岩手・大船渡高から鹿島入り。相手の穴を突く頭脳と正確なパスを武器に台頭した。イタリアから復帰した07年以降はボール奪取力を上積みし、国内主要大会、ACLで17度の優勝をもたらした。17冠はGK曽ケ端(鹿島)と並んで最多タイ記録。必ずしも技術の高さが勝敗に直結しない世界で、「チームを勝たせられる選手」を地でいった。
鹿島の鈴木満常務は「25年を迎えたJリーグ全体のMVPを決めるとしたら、満男。日本人で一番貢献度が高い」と感謝した上で、小笠原と優勝回数の因果関係を説明した。「自分が得意なこと、やりたいことをしていただけでは試合に勝てない。自分を押し殺して我慢することも必要になる。それができる選手だったし、勝負どころを見極める力はずば抜けていた」
右膝故障を抱え 39歳を迎えた今季は膝に水がたまる症状に悩まされた。リーグ戦は14試合の出場にとどまり、11月のACL初制覇でクラブ20冠目を達成した試合も欠場。「ベンチにいることは耐えられない」と語っていた男とは思えないような、優しい笑みを浮かべ、トロフィーを頭上に掲げた。22日に行われたクラブW杯3位決定戦・リバープレート戦(0●4)で、終盤に投入されたのが最後の公式戦となった。引退後の進路については、未定としている。
小笠原は「鹿島アントラーズという素晴らしいチームでここまでプレーでき、鹿島アントラーズでサッカー選手として引退できることを、とてもうれしく、そして誇りに思います」と広報を通じてコメント。今季限りで引退したGK川口能活氏(最終所属・相模原、43)に続き、サッカー界を引っ張ってきた小笠原が多くのタイトルを残してスパイクを置く。(内田 知宏)
◆第2の人生は? 3つの可能性
小笠原の今後については、「自分の口からきちんと説明したい」という強い希望でこの日、鹿島が出した引退の公式リリースには明記されなかった。第二の人生について、これまでの取材から可能性を探っていく。
《1》漁師 20代の頃は、海が好きなことから、漁師になることを引退後のファーストチョイスに据えていた。実際に大型自動車、船舶の運転免許を取得するなど準備を進めていた。だが、最近では彼の口から出なくなっている。
《2》復興支援活動 11年3月に東日本大震災が起きてから、故郷の岩手を中心に、東北サッカー界の復興を目指して支援活動を続けている。来年1月にも東北で交流サッカーイベントを開催予定。
《3》指導者 第3子となる小学3年の長男のサッカー練習に熱心に付き合い、同学年では飛び抜けた存在に。
◆小笠原 満男(おがさわら・みつお)
▼生まれとサイズ 岩手県盛岡市。173センチ、72キロ。
▼愛称 みつおさん、みつ、キャプテン、ボス。
▼花の98年入団組 後に鹿島の黄金時代を築くDF中田浩二、MF本山雅志、GK曽ケ端準らと同期入団。なお、曽ケ端とはJ1通算500戦出場を全く同じ試合(2017年4月16日仙台戦)で達成。
▼いたずら好き 多くの後輩選手が“被害者”に。38歳の誕生日に行われた練習後、ある後輩選手が勇気を振り絞って水を浴びせるお祝い。その選手がロッカールームへ戻ると、全ての私服、下着が水浸しだった。他にも「選手寮の『ソバ』のメニュー板を『ソガ(曽ケ端の愛称)』に書き換える」、「後輩の車のボンネットで目玉焼きを作ろうとする」など逸話は数知れず。
▼故郷の復興へ全力 東日本大震災発生から1週間後の3月18日には被災地へ。5月31日には「東北人魂を持つJ選手の会」を立ち上げ、以後継続的に支援活動を行う。昨年12月には遊び場所を失った子供たちのために「自由に体を動かせる場所をつくりたい」と提案していた人工芝グラウンドが完成。人工芝の選定には10か所を巡った。
▼とことん ゴルフを始めてから1年でスコア80を切る。上達のコツは、100ヤード以内からは「入れに行く」攻めの姿勢で取り組むことだという。
▼好きな言葉 勝利。
▼嫌いな言葉 敗北。
▼お約束 練習試合で相手選手と衝突し、お互いが倒れる。体が強いことで知られる小笠原にはチームメートは誰も駆け寄らない。倒れた相手選手を心配し、「大丈夫か」「ぶつかった相手が悪かった」と言うのがルール。
▼野性児伝説 体幹トレーニングを選手が取り入れ始めた時、全体練習以外では一切行わず。「体幹(トレ)なしで俺は優勝する」と言って、3連覇を成し遂げ、MVPに。けがした選手に「寝れば治る」「食えば治る」と声をかける。普通の人は決して食べない生肉を食べている姿の目撃情報多数。