長州力の心の師・マサ斎藤さんの「誰にもまねできない」当たって砕けろ精神

ジャパンプロレス時代のマサ斎藤さん(左)と長州力(1985年2月5日、東京体育館でのジャンボ鶴田、天龍源一郎戦)=山内猛氏撮影=
ジャパンプロレス時代のマサ斎藤さん(左)と長州力(1985年2月5日、東京体育館でのジャンボ鶴田、天龍源一郎戦)=山内猛氏撮影=
マサ斎藤さんの思い出を懐かしそうに語る長州力
マサ斎藤さんの思い出を懐かしそうに語る長州力
棺を担ぐ(左から時計回りに)長州力、前田日明氏、キラー・カーン氏、蝶野正洋、武藤敬司、西村修、坂口征二氏、佐々木健介、中嶋勝彦、マサ北宮、北沢幹之氏。右端が倫子夫人
棺を担ぐ(左から時計回りに)長州力、前田日明氏、キラー・カーン氏、蝶野正洋、武藤敬司、西村修、坂口征二氏、佐々木健介、中嶋勝彦、マサ北宮、北沢幹之氏。右端が倫子夫人

 今年も多くの訃報に接したが、昭和を代表するプロレスラー、マサ斎藤(本名・斎藤昌典)さんは、7月14日にパーキンソン病のため75歳で亡くなった。1964年の東京五輪でレスリング代表だったマサさん。同じアマレス出身で、新日本プロレスの革命軍団、維新軍団、ジャパンプロレスでマサさんを心の師と仰いだ現役レスラーの長州力(67)が「追憶のあの人」で思い出を語った。

 今年7月22日に東京・港区の梅窓院で営まれた葬儀・告別式で、レジェンドレスラーたちの大同団結シーンが見られた。明大時代にマサさんと同期だった坂口征二氏(76)が音頭を取って、屈強な男たちが、マサさんの棺(ひつぎ)を担いだ。キラー・カーン氏(71)、前田日明氏(59)、武藤敬司(55)、蝶野正洋(55)、佐々木健介(52)…。長州力も加わった。

 テンカウントゴングが鳴らされ、徳光和夫アナウンサー(77)が「マサ斎藤!」とコール。テーマ曲「ザ・ファイト」が流れた。その中心でレスラーたちは黙々と棺を担いだ。気性が激しい男たちの世界。複雑な人間模様があり、“共演NG”の組み合わせがいくつもあったが、それをマサさんが一つにまとめたことになる。

 「昔のプロレスの話はしたくない」と言う長州だが、マサさんの思い出ということで取材に応じてくれた。「マサさんがみんなを集めた? そういうのはないんじゃないかな」と言ってから「それは分かんないですよ。みんなお世話になったことは間違いないですから」と言って「うん」とうなずいた。

 マサさんとは「随分会ってなかった」と言う。新日本プロレスを飛び出す形で長州が2003年に旗揚げしたWJ(ワールドジャパンプロレス)が翌年に暗礁に乗り上げ、行動をともにした師のマサさん、弟子だった健介と決別する結果になった。

 「会う寸前だったんですよ。会える時に会っておかないと…。残念です」

 武藤敬司が昨年にスタートさせたOB戦「PRO―WRESTLING MASTERS」で、闘病中のマサさんを長州のセコンドにつけるプランもあった。

 新日本の若獅子だった長州は、日本初の“ヒールユニット”狼(おおかみ)軍団の副将だったマサさんと、敵対関係で出会った。79年6月15日に米ロサンゼルスで、坂口と組んでNWA北米タッグ王者になった時の相手が狼軍団の大将・ヒロマツダとマサさんだった。反則による1―0からの2本目をマサさんのバックドロップで敗れ、決勝の3本目は逆にバックドロップでマサさんにフォール勝ちして栄冠に輝いた。師弟関係の始まりも米国だった。藤波辰巳(現・辰爾)に「俺はお前のかませ犬じゃない」と内乱を起こした82年11月、米国に一時退避した。そこで一匹狼としての生きざまを学んだのがマサさんだった。

 「ニューヨークでマサさんと会って、その時の姿がすごかったですよね。本当に度肝を抜かされました」

 一緒にプエルトリコに行って、タッグを結成し、ヒール道を実体験した。ナイフを突きつけてくる客がいるほど、荒っぽい地域だった。

 「会場でも、お客がエキサイトすると、マサさんは、ちょっとヤバイんじゃないかなというところまでやる。普通の人は理解できないくらい豪快でした。本当にすごいファイターでした」

 マサさんを心の支えに長州は、革命軍、維新軍を率いた。

 修羅場あるところにマサさんがいてくれた。維新軍時代の84年6月14日、東京・蔵前国技館で行われたアントニオ猪木とハルク・ホーガンによる第2回IWGP優勝戦でのこと。場外乱闘中に長州が乱入し、猪木、ホーガンにリキラリアットをかまして、場内は大暴動になった。モノが投げ込まれる中、興奮状態の長州をマサさんが肩を抱くようにして会場外へ脱出させた。

 「そういうこともありましたけどね。それについて語るということはないですよね」

 過去の詳細については、記憶が曖昧という理由から「聞かないで」というのが長州の方針だった。

 蔵前から両国国技館の時代になっても、暴動ある所に、マサさんがいた。87年12月27日、ビートたけしが結成した「たけしプロレス軍団」にマサさんが参謀となり、米国からビッグバン・ベイダーを連れてきた。これで予定されていた対戦カードが二転三転し、観衆が大荒れ。モノが投げ込まれ、リングがゴミで汚される中、長州、斎藤組は試合を成立させた。

 「マサさんは、どこでも一緒ですよ。日本でも向こう(米国)でも。秘めてますよね。引かない、というか」

 マサさんの座右の銘「GO FOR BROKE!(当たって砕けろ)」を肌で受け継いだ。

 「継承? いや、それは誰にもまねできないですよ」

 89年に長州が新日本の現場監督になると、マサさんは外国人担当の渉外部長として支え、90年代のドームツアーを成功させた。マサさんが引退した年齢から10年が過ぎた今年、長州は“最後の引退”を決断した。マサさんが亡くなったこととも無縁ではない。

 「自分なんかがこの年までやってきて、あそこまではなれないですよ。僕の感覚的に、もう十分だろうと。これ以上やっても。元気なうちに」

 自分に言い聞かせるように話した。今月28日に東京・後楽園ホールで開催するファイナルロード第1弾「POWER HALL2018イヤー・エンド・スペシャル」で、長州は、藤波辰爾(64)、そして斎藤さんの孫弟子に当たる健介オフィス出身のマサ北宮(30)とタッグを結成し、NOSAWA論外(41)、葛西純(44)、清宮海斗(22)組と対戦する。(構成・酒井 隆之)

 ◆マサ斎藤(まさ・さいとう)本名・斎藤昌典(まさのり)。1942年8月7日、東京都生まれ。明大在学中の63年、レスリング日本選手権で2冠。64年東京五輪にフリースタイル・ヘビー級で出場。65年6月に日本プロレスでデビュー。68年に渡米し、一匹オオカミで各地を転戦。東京プロレスを経て、新日本プロレス参戦。ヒロ・マツダ、上田馬之助、サンダー杉山らと「狼軍団」結成。87年10月にアントニオ猪木と伝説の「巌流島の戦い」。99年2月、日本武道館でのスコット・ノートン戦で引退。NWA北米タッグ、WWFタッグ、AWA世界ヘビー級王座などを獲得した。

 ◆長州 力(ちょうしゅう・りき)本名・吉田光雄。1951年12月3日、山口・徳山市(現周南市)生まれ。67歳。専大時代の72年にレスリングでミュンヘン五輪出場。73年12月、新日本プロレスに入団。84年12月、ジャパンプロレスを旗揚げし、87年5月に新日本へ復帰。98年1月4日の東京ドームで引退したが、2000年7月30日に大仁田厚との電流爆破デスマッチで現役復帰。WWFインターヘビー級、PWFヘビー級、インタータッグ、IWGPヘビー級、タッグ王座などを獲得。184センチ、120キロ。

ジャパンプロレス時代のマサ斎藤さん(左)と長州力(1985年2月5日、東京体育館でのジャンボ鶴田、天龍源一郎戦)=山内猛氏撮影=
マサ斎藤さんの思い出を懐かしそうに語る長州力
棺を担ぐ(左から時計回りに)長州力、前田日明氏、キラー・カーン氏、蝶野正洋、武藤敬司、西村修、坂口征二氏、佐々木健介、中嶋勝彦、マサ北宮、北沢幹之氏。右端が倫子夫人
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