北千住の流しから紅白歌手へ 渥美二郎の“恩人で原点”

流しの時代はギターは「こうやって持っていたね」と懐かしむ渥美二郎
流しの時代はギターは「こうやって持っていたね」と懐かしむ渥美二郎
「夢追い酒」のキャンペーンで全国をまわった渥美二郎
「夢追い酒」のキャンペーンで全国をまわった渥美二郎
渥美二郎「夢追い酒」ジャケット写真
渥美二郎「夢追い酒」ジャケット写真

 日本の名曲の魅力に迫る「にHo!んの歌」。10月は、歌手・渥美二郎(66)の代表曲「夢追い酒」(作詞・星野栄一、作曲・遠藤実、78年発売)。79年にかけて280万枚のビッグヒットを記録し、同年のNHK紅白歌合戦で初出場を果たした。16歳の時に地元の東京・北千住で流しで歌い歩く演歌師を始めて50年。89年にスキルス性胃がんを患い、胃と脾臓(ひぞう)を全摘出してもなお歌い続ける自身の「原点」「恩人」と感謝する1曲への思いを聞いた。

 16歳から8年間、酒場で歌い歩いた渥美は75年にデビュー後は鳴かず飛ばず。「夢追い酒」は“引退覚悟”で歌った1曲だ。

 「背水の陣の気持ちで、ダメなら演歌師に戻ろうと本気で思ってた。流しでは大卒初任給2万~3万円の頃、月15万円は稼いでたから。昼は有線やレコード店、夜はスナック、深夜はサパークラブで歌って体も持たなくて、これが最後だ、むちゃくちゃでやろうと思った」

 別れた相手を思いながら酒を飲む哀愁漂う歌詞、遠藤実氏が作曲した口ずさみやすい曲調がウケた。

 「歌詞は『あなたなぜなぜ わたしを捨てた』と悲しいけど、明るいメロディーで笑って歌えるのがいい。最初、レコード会社や遠藤先生はニューミュージック調の『おもいで北千住』をA面に推してたけど、僕は『夢追い酒』がよかった。北千住の演歌師仲間に聴いてもらって『ギター1本で様になるからおもしろい』と大評判で、最後にA面がひっくり返ったんです」

 キャンペーンは無我夢中で駆け回った。

 「背中と胸に『渥美二郎』と刺しゅうを入れたジャンパーを着て、空港やデパートとどこでも行った。知ってもらうために、歌詞カードを配って歌った。選挙と同じ。車の上に名前を書いた看板を乗せた宣伝カーを作ってグルグルまわった」

 熱がこもりすぎて、聴衆のド肝を抜いてきた。

 「上野のアメ横では『一票入れてあげる』と選挙と間違われたね。空港でタクシー待ちの人のまわりをスピーカーを鳴らしてまわったら警察に怒られたし、飛行機で歌詞カードを配ってたらCAさんに怒られた。新幹線の中で車掌が来ないのを見張りながら歌ったこともある。法律に違反しないことは何でもやった」

 有線などでジワジワ認知度を上げ、発売半年後の78年8月に関西で火がついた。

 「北千住ではものすごい人気があったけど、一歩外に出るとアウェーでね。大阪で若手歌手の演歌祭りでグランプリを取って、一気に知ってもらえた。直後に京都のレコード店へ歌いに行ったら店の前がすごい人だかりで、交通事故かと思ったら僕を待つファン。ミカン箱の上で気持ち良く歌った。ほんの1~2か月でガラリと変わる。ヒット曲はすごいなと感動しました」

 TBS系「ザ・ベストテン」で演歌で初のランクイン。79年のオリコン年間チャートで1位に輝いた。

 「一日4~5万枚のバックオーダーが来て、レコード会社のスタッフが『枚数入力の桁を間違ってごめんなさい』と謝ってた。本当は合ってるのにね(笑い)。4~5人だった観客が数か月で1000~2000人と増えた。当時はカラオケブームで、歌詞が歌いやすくて演歌師の渥美が歌うのがガチッとはまったんでしょ」

 初出場した紅白歌合戦ではハプニングがあった。

 「郷ひろみくんの後の白組2番手。緊張しました。地下2階で出番を待って、新調したスーツのタイピン型のボタンがハマらなくてね。本番間近でエレべーターがいなくて、階段をガーっと上って舞台袖まで行ったんです。五木ひろしさんの伴奏で息切れして一番を歌い終わったら汗ダクです。思い出はそれだけ(笑い)」

 1989年にスキルス性胃がんを告知され、胃と脾臓を全摘出した。

 「37歳で命の終わりを覚悟しましたね。でも、胃がんの経験はありがたいと常に思ってる。毎日、おなかの手術痕を見ると生きて歌えることはありがたさを感じる。手術前後でありがたさは何十倍と違う。常にこれが最後だと悔いのないステージにしようと思える」

 その後は再発も転移もなく、歌声はむしろパワーアップしているという。

 「今の方が声が滑らかに出て、柔らかさや味が出て一番いい。術後10年は全く声が出なかったから、自然と腹から声を出そうとやってきたんでしょうね」

 自身の代表曲として40年間歌い続けてきた。

 「1万回は歌ってるでしょう。『夢追い酒』があるから40年、歌手としてステージに立てる。この曲があるから僕がある。恩人であり、原点です。全国どこでもお客さんが口ずさめる曲はそうはない。そういうヒット曲があるのは幸せです」

 ◆「平成最後にタンゴブーム起こしたい」
 酒場をギターで歌い歩く演歌師を16歳で始めた渥美は演歌道50年を迎えた。自身作曲の記念曲「涙色のタンゴ」(昨年5月発売)が好調で「平成で大人が歌うタンゴを届けたかった。平成最後にタンゴブームを起こしたい」。今月30日には、同曲を課題曲としたカラオケ大会を東京・北区の「北とぴあ」で開催。本選出場15人の歌審査と渥美ら歌手によるコンサートを行う予定で「演歌やタンゴの魅力をたっぷり感じてもらいたい」と呼び掛けた。

 ◆渥美 二郎(あつみ・じろう)本名・渥美敏夫。1952年8月15日、東京・足立区生まれ。66歳。酒場をギターで歌い歩く「流し」(演歌師)として16歳から活動。作曲家・遠藤実氏に師事し、75年に歌手デビュー。78年発売の「夢追い酒」が大ヒット。79年に日本レコード大賞ロングセラー賞を受賞、紅白歌合戦に初出場。代表曲は「忘れてほしい」「他人酒」「釜山港へ帰れ」など。95年から阪神淡路大震災チャリティーコンサート「人仁の会」を毎年開催。血液型AB。

流しの時代はギターは「こうやって持っていたね」と懐かしむ渥美二郎
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