執念が生んだ「新ヤマシタ跳び」…64年東京五輪で団体総合&跳馬で金メダルの松田治広氏

64年東京五輪で松田氏が決めた新ヤマシタ跳び
64年東京五輪で松田氏が決めた新ヤマシタ跳び

 体操の跳馬で、世界にその名を知らしめた「ヤマシタ跳び」を編み出し、64年大会で団体総合と種目別の跳馬で金メダルを獲得したのが、松田(旧姓・山下)治広氏(79)=だ。

 日体大卒業後も助手として残り、体操に専念していた。ある時、体育館で練習していた大学生の勢いのある動きにヒントを得て、この技を作り上げた。それまでの跳馬の最も難しい技は「前方倒立回転跳び」だったが、それをスケールアップさせようと考えた。高く浮き上がり跳馬に手をつき、屈身から伸身姿勢へと体を伸ばして着地するのだが、跳馬の着地側に手をつくと、最初のジャンプが小さくなってしまっていた。

 「踏切板から跳馬までを50センチから2メートルに徐々に広げていった。そして跳馬の踏み切り側に手をつくようにしたら、後半だけでなく前半も大きな飛躍になった」。これでヤマシタ跳びが出来上がった。

 だが、62年世界選手権(プラハ)では2位だった。「負けたという気はしなかった。その時から東京で金メダルを取ることばかり考えていました。1回ひねりを加えた新技ができないか、と練習を続けました」

 7時間の全体練習が終わった後、1時間新技に取り組んだ。しかし、常に20メートル走らなければ跳馬の練習にならないため、スタミナの消耗が激しかった。それが、合宿で訪れた青森・八戸市の体育館にあったトランポリンでの練習を竹本正男コーチから勧められ、走るロスがなくなった。「ある時、ひねりができたんです。竹本さんが“手を上げて回ってたぞ”と言ってくれて、その練習を繰り返したんです」

 新ヤマシタ跳びは本番5、6か月前に完成。この2つの技で64年、表彰台の真ん中に立った。「うれしいというほかに言葉が見つかりませんでした。竹本さんには感謝の言葉しかありません」。現在、代表はパワハラ騒動の渦中にあるが「当時の代表は一丸となっていました。何とか一丸となって頑張ってほしい」と力を込めた。=敬称略=(久浦 真一)

 ◆松田 治広(まつだ・はるひろ、旧姓・山下)1938年11月15日、愛媛・宇和島市出身。79歳。宇和島東高から日体大。62年世界選手権団体総合金、66年同選手権団体総合、跳馬で金メダル。日本体操協会専務理事などを歴任。00年に国際体操殿堂入り。64年結婚に伴い、松田に改姓。

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