【成金の正体】講談界の風雲児・神田松之丞の原点「原動力はすべて“怒り”なんです」

スポーツ報知
しぶらくに出演、観客を魅了する神田松之丞(カメラ・越川 亘)

 講談師・神田松之丞(35)はいらだっていた。釈台を前に張扇を打ち鳴らし、講談を語る。鬼気迫る表情やギラギラした姿で客を一気にストーリーに引き込む。自ら発する言葉で、圧倒的な熱量で、空間を支配していく。その高座が「松之丞がいい」と評判を呼び、人気を集めた。そのうねりは講談界という世界をあふれさせ、寄席演芸の器を満たし、さらに大衆へと広がりを見せている。「ありがたいことですけどね。ここまで来るとは思わなかったですよね」本人も驚くほどの展開だ。

 メディアへの出演はひっきりなしだ。4月にフジテレビ系「ENGEIグランドスラム」で講談を披露、6月には同局系「ダウンタウンなう」の「本音でハシゴ酒」で爪痕を残した。先日はテレビ朝日系「報道ステーション」にも出演した。

 注目されたきっかけはラジオだという。

 2017年4月にTBSラジオ「神田松之丞 問わず語りの松之丞」を始めてから潮目が変わった。「ラジオが一番の収穫ですね。名刺代わりになっています。“松之丞が面白いぞ”となってもいきなり講談はハードルが高いんですよ。まずはラジオを聞いて、それを“マクラ”にして、『じゃあ講談に行こう』となる。二段構えですね」。

 ■メディアで本音を言い続ける理由

 ラジオでの歯に衣着せぬ物言いで、テレビ局から出演オファーも相次ぐ。「変な毒舌キャラみたいに思われているけど、それは違うなと…。本音を言う人なんだけど、毒舌キャラとなるとニュアンスは違うかなと思います」。

 スケジュールは自身で管理している。手帳はぎっしりとスケジュールで埋め尽くされている。メールのやりとりで1日2時間費やされることもある。それでも芸能事務所に入ることを良しとはしていない。「事務所に入っていいことなんか一つもないです。発言も規制されるし、お金も取られる、時間も取られる、やりたくない仕事もやらなきゃいけない」。メディアで本音を言えるスタンスにこだわっている節がある。

 すべては講談につなげるためだ。「波が来ているのは間違いないけど、波の乗り方だけは間違えないようにしています。講談が核で、メディア(出演)はバイト。講談に来てもらう、自分が導線になって本物の聴かせ屋に出会わせて、聴いてもらう。そっちにハマらせるのが自分の役割です」。

 ■大きな欠落を埋めるために講談師に

 松之丞は9歳の時に父親を亡くしている。会社員だった父親はある日、家を出た。そして帰ってくることはなかった。当時の記憶は途切れ途切れだ。「でも死んだときの空気感は今でも覚えています。「そこまでは本当に明るい子でいつもニコニコしていたんです。毎日楽しくて。でも父親が死んで家庭がおかしくなって」。それから、人前で笑わない子供になり、自分の殻に閉じこもった。人生での大きな転機になったと著書でもふれている。「本にも書いているけれど、父親の死を理由にしているというか、『転機になりました』と言えば、人は喜ぶ。とはいえ、それを理由にしている自分は胡散(うさん)臭くて嫌いだなと思うし。いかにも分かりやすいストーリーだけど、実際にそうだし。欠落を埋めるために何かを探していて、たまたま講談に出会ったのかもしれない」。今でも揺れる思いを語り出し、そして続けた。「親父が生きていたら芸人になっていなかったと思う。それもいい人生だったと思うけど、松之丞は生まれてなかった」。

 師匠・神田松鯉に父性を感じるのだろうか。「良く聞かれるんですが、年齢が違う。40歳離れていて、おじいちゃんと孫ですね。でも師匠は野暮な父性は見せないですし、遠くから見つめてじっと笑ってくれている。それも心地いいのかもしれません。距離感が素敵ですよね」。

 ■売れるためのアイコンが欲しかった

 松之丞は二ツ目になるとユニット「成金」を結成した。桂伸三(当時は春雨や雷太)と焼き肉屋で夢を語り合った。伸三は述懐する。「(松之丞は)『自分たちの城が欲しい』と言っていましたね」。定期的に同じ場所で勉強会を開きたい。意気投合した2人は仲間に声をかけて同じ時期に前座修業をしていた11人が集まった。

 「直感的に成功するとは思いました。高座で自分よりうまい人、面白い人はいますが、プロデュース能力は他の芸人より高いですから。伝統芸能はどういうことをしたら“跳ねる”か想定できる。比較的、その能力は恵まれていると思います」。入門前に松之丞は、客として落語を聴き続けてきた。生の高座を体験する一方で、次々と様々な音源、映像、著書にあたり、まるで修業のように講談、浪曲も聴いた。その蓄積もあった。そして“怒り”がモチベーションになった。

 松之丞は言う。「前座・二ツ目でもその人自身はたいした事ないのに、大きい組織にいるというだけで優越感に浸っている人が多かった。面白いことに、真打ちの売れている人はそんな人はいない。ダメな人ほど階級に関わらず、芸協を見下すみたいな、我々をバカにする空気があった。原動力はすべて怒りですね」。

 その当時、勢いのある二ツ目が演芸界で注目を集めつつあった。「『芸協の二ツ目がいいね』という空気があって。でも全員じゃない、11人がいいというアイコンが欲しかった。『成金』がいいんだという…。作戦は当たりました」。

 毎週金曜日に西新宿ミュージックテイトで公演を行い腕を磨いた。「『成金』という名前は(昔昔亭)A太郎兄さんが出してくれたんだけど、そのネーミングで行けると思いました。将棋の盤面で敵陣の陣地の深いところに踏み込むとなれる、と金(きん)になろうとする野暮さとかずうずうしさとか、ウソがない感じとか全部含めて合っているなと…。『売れたいです』とはっきりと言っているところも…」。通常公演から派生して年末には人気落語家をゲストに「大成金」を開催、人数を絞って各地を巡業する「旅成金」を展開しブームを巻き起こした。

 ■大事にしている客側だった時の感情

 松之丞には常に“怒り”がある。「学生時代から怒っていましたね」。ある落語家が盲目の主人公が登場する「心眼」を演じたときだった。「俺たちみたいな目の不自由な…」のセリフに心の中で噛みついた。「江戸時代に自分で『目の不自由な…』なんて言うやついないだろう。何を遠慮しているんだ!何を表現したいんだ!」。怒りの矛先は敬愛する立川談志にも向けられた。談志の「らくだ」に鳥肌が立つほどの感動を得て、演芸界を志す大きなきっかけになったと公言する一方で、「酷い高座の時は「『こんなのインチキだ』と…」。噺の構成や表現方法に「俺だったらこうする」と常にイライラしていた。

 「自分が何者でもなかったあのときの自分の感情を大事にしています。そういう感性は大事にしたいです。当時の自分が今の俺の高座を見たらぶち切れると思いますが…」。松之丞はそういってほほ笑んだ。

 ■松之丞が目指すものは…

 新たな出会いもあった。8月に金沢で三島由紀夫原作「卒塔婆小町」をテーマにオペラとコラボした。松之丞はアレンジを加え、自作の講談にした。「一切笑いがない中、すごい集中力で出来た。お客さんも無駄に咳をしないし、携帯もならない。それは僕が求めていた環境でもあったし、オペラを新作の講談風にアレンジして語る文化的な意義もあった。これは面白いと…」。

 リスクを負って挑戦したからこそ見えた世界だ。「静かにゆっくりと間をかみしめてやるのも好きだったよなと思い出させてくれた。言葉の一言一言にお客さんが引きつけられている、空気感が変わってくるのが分かるんですよ。一つ噛んだら崩れてしまうヒリヒリとした中でやっている。やっていて楽しかった」。

 落語家との合間に入るホールでの講談、寄席に二ツ目の位置で出演する意義も分かっている。だが、「年中、エンターテインメントばかりでは疲れちゃうなと…。それとは違う芸の本質みたいなものを突き詰めていこうというものがあると、こんなに充実感があるのかと最近感じましたね」。大学生の時、講談師を志した“原点”を思い起こしていた。「講談は本当に素晴らしいのに、過小評価されていると感じたんです。その状況にイライラして。勝手な使命感ですよね」。講談が宝の山だと思って、この世界に飛び込んだ、その判断が間違いでないことを再確認した。

 今後、松之丞の芸がどのように変化していくのか。「お客さんが勝手に色を付けたがるんですよ。『人間はいい誤解と悪い誤解しかない』というのが談志師匠の言葉で、『中村仲蔵』で、一番下っ端の役者がはい上がってくるのも『松之丞さんを見ているようだ』って勝手にプラス採点してくれる。その言葉はうれしい、狙い通りなんだけど。自分自身の作為的な事が成功するや否や、何かそれでもう一人の自分が冷めていくのが分かる。非常にありがたいんですけど…」

 “最もチケットの取れない講談師”と形容される。その枕詞をどう思うか。「それ以外に表現できないから。すごく誉れの高いことです。よく『芸があるのに、お客さんがこない』と言いますが、それは芸がないんですよ。いや、芸はあるかもしれないけど、何かが足りないんですよ。もちろん、私も現在はブームでお客さんにお越し頂くけど、高座の出来に常にイラついています」

 ■なくなることのない“イライラ”

 松之丞からイライラがなくなることはあるのだろうか。「それがなくなったら終わりだと思います。ずっとイライラしています。客観的にみたら満たされています。でも自分の芸はまだ大したことないのに、『良いですよ』と言い寄ってくる感じとか…。それを利用している自分、それに支えられている葛藤とか。お金は入ってくるけど、札束を投げたくなる。今こそ自分を納得させるために、我慢して稽古する時だなぁと」。

 高座での着物姿とは違い、私服へのこだわりはない。「服とかには気を遣わないので、きったねえズボン履いてます。白いズボンにガリガリ君をこぼした跡がついていて…。どうでもいいやと。そんなところで勝負していないと…。それも、どこかへ向けたパフォーマンスなのかもしれません」。取材を終え、もう一声かけようと思って通りを出たが、存在を見失った。猫背で足早に歩く青年を見て、松之丞だと確信したが、そのまま新宿の雑踏に溶け込んで見えなくなった。(コンテンツ編集部・高柳 義人)

 ◆神田 松之丞(かんだ・まつのじょう)本名・古舘克彦。1983年6月4日、東京生まれ。35歳。武蔵大を卒業後の07年11月、神田松鯉に入門。12年6月、二ツ目に昇進。血液型A。17年3月「花形演芸大賞銀賞」を受賞。日本講談協会、落語芸術協会に所属。著書に「絶滅危惧種、講談師を生きる」(新潮社)、「神田松之丞 講談入門」(河出書房新社)。TBSラジオ「神田松之丞 問わず語りの松之丞」(日曜・後11時)のパーソナリティーを務める。

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