カッコよかった名女優・樹木希林さん、さようなら

報知映画賞受賞のインタビュー時にポーズを取って自宅前を歩いた樹木希林さん(2008年11月)
報知映画賞受賞のインタビュー時にポーズを取って自宅前を歩いた樹木希林さん(2008年11月)

 個性派女優として知られた樹木希林(きき・きりん、本名・内田啓子=うちだ・けいこ)さんが15日午前2時45分に都内の自宅で死去した。関係者が16日、明らかにした。75歳だった。死因の詳細は明らかになっていないが、2012年に「全身がん」であると告白。今年8月には転倒して左大腿(だいたい)骨を骨折し、一時危篤状態になったことを義理の息子で俳優の本木雅弘(52)が公表していた。通夜はこの日、近親者のみで営まれ、葬儀は30日に港区内で執り行われる予定だ。

 センスと実力に裏打ちされた変幻自在の演技に加え、歯に衣(きぬ)着せぬ発言で幅広い世代に愛されていた樹木さんが、6年にわたる全身がんとの闘いに、ついに力尽きた。

 関係者によると最期は家族に囲まれ、自宅で息を引き取ったという。先月13日に知人宅の外階段で転び、左大腿骨を骨折。手術後は、一時危篤状態に陥ったこともあったが、危機を回避して復帰に向け、リハビリを行っている最中と本木が説明していた。

 1961年に文学座付属演劇研究所に1期生として橋爪功や寺田農らと入所。在団中からテレビにも活躍の場を広げ、64年の「七人の孫」で演じた東北弁のお手伝いさん役で人気を博した。「寺内貫太郎一家」では、人気歌手・沢田研二のポスターの前で「ジュリー!」と身もだえ。郷ひろみとのデュエット曲「林檎殺人事件」では「フニフニ…」とユーモラスなダンスを披露。「美しい人は美しく、そうでない方はそれなりに」に代表される富士フイルムのCMも毎年話題に。自らの芸名「悠木千帆(ゆうき・ちほ)」をチャリティー番組でオークションにかけるという前代未聞の行動も。怪演ぶりはドラマや映画で欠かせない存在になった。

 年齢を重ねるにつれ、出演作品はむしろ増加。今年のカンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞した「万引き家族」の是枝裕和監督(56)の作品には“常連”として出演、順調な女優生活を続けていた。

 一方で、60代に入ってからは病魔との闘いが続いた。2003年に左目の網膜剥離を発症して失明。翌04年には乳がんが見つかり、右乳房の全摘出手術を受けた。その後も腸や副腎、脊椎などにもがんが見つかり、20か所を治療。がん体質であることを指す「全身がん」が理由だったことを12年にスポーツ報知のインタビューなどで告白した。

 最後に公の場に姿を見せたのは、7月31日。京都の建仁寺で行われた映画「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」(大森立嗣監督、10月13日公開)のイベントだった。「(撮影時から)10キロ痩せて、(身長が)7センチ縮んだ。自分の体を面白く見ていました」。闘病のために弱った体を自虐的に話した。

 「一時危篤」が明らかになった先月30日の会見では「細い糸1本でやっとつながってる。声一言もでないの。しぶとい困った婆婆です」との言葉が書かれたイラスト付きの文面を本木に託し、ちゃめっ気を見せていた樹木さん。ファンが心配しないよう、最後まで「らしさ」を見せたまま旅立った。

 ◆樹木 希林(きき・きりん)1943年1月15日、東京都生まれ。64年文学座研究所時代に出演したTBS系「七人の孫」(森繁久彌主演)で注目される。65年座員になるも翌年退団。77年旧芸名「悠木千帆」をテレビの企画でオークションにかけ「樹木希林」に改名。代表作は報知映画賞主演女優賞を受賞した河瀬直美監督「あん」。主な出演作に「寺内貫太郎一家」、「夢千代日記」、「歩いても 歩いても」、「わが母の記」など。64年に岸田森さんと結婚するも離婚。73年に内田裕也と再婚。娘の内田也哉子は95年に本木雅弘と結婚している。

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