日本人初グレコ金・市口政光、手作りの鉄アレイ&バーベルで「工場トレ」

スポーツ報知
64年東京大会レスリング、グレコローマン・バンタム級で優勝し、肩車されて場内を一周する市口政光

 1964年大会のレスリングで、日本人初のグレコローマン金メダリストとなったのが、バンタム級の市口政光(78)だった。フリーでは60年ローマ大会まで計7個のメダルを獲得しており、「フリーに負けるな」がグレコの選手にとっては、合言葉だった。

 市口は1回戦をフォール勝ち、2回戦から5回戦までを危なげなく判定勝ち。当時は持ち点が0になると失格になるという方式が採用されており、この段階で優勝が決まった。「これで一人前の社会人になれました」。午前中は仕事をして午後からは練習に打ち込む生活で、会社に迷惑をかけ続けているという思いが強かった。

 レスリングを始めたのは関大に入学してから。「基礎体力をつければ何とかなる」。鉄鋼業を営む父の工場に行き、バーベルや鉄アレイを自ら作ったり、ロープを倉庫の上部にかけて登ったりと、創意工夫でトレーニングを積んだ。東京五輪候補を集めての体力測定で背筋力220キロをマークし周囲を驚かせた。さらに、当時の外国人選手には、高校までやっていた柔道の投げ技が面白いように決まり、東京五輪2年前の世界選手権で優勝し、自信をつけた。

 日本レスリングの父、八田一朗は「精神面のコーチだった」と話す。ライオンとのにらめっこなどが大きく取り上げられるが、将棋の大山康晴名人や競泳の古橋広之進らの講演をよく覚えているという。「勝負の世界の話を聞いたことがためになった」

 パワハラ問題で揺れるレスリング界が当然気になる。「アジア大会もあまり成績は良くなかった。よっぽどリーダーがしっかりしないと大変だと思う」「今は、全てを犠牲にしてやれ、というのは無理な時代かもしれない。だけど、そのくらいの気構えがないとメダルは取れません。失敗してもとことんやるんだ、苦しさを乗り越えるんだという気持ちが大事だと思います」と、後輩たちにエールを送った。(敬称略、久浦 真一)

 ◆市口 政光(いちぐち・まさみつ)1940年1月12日、大阪市出身。78歳。浪速高から関大。東海大教授などを歴任し、東海大名誉教授。60年ローマ五輪は7位。84年ロサンゼルス五輪グレコ監督。現在は東海ジュニアクラブを主宰し、幼児から中学生にレスリングを指導。

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