十両昇進を逃した霧馬山を発奮させた師匠陸奥親方の言葉 師弟で誓った秋場所のリベンジ

足利合宿で汗を流す霧馬山
足利合宿で汗を流す霧馬山

 大相撲の幕下・霧馬山(22)=陸奥=が秋場所(9月9日初日・両国国技館)での十両昇進を誓った。

 今年の夏場所で幕下優勝を決め、続く名古屋場所で自己最高位となる西幕下3枚目に番付を上げたが、3勝3敗で迎えた勝てば新十両昇進が決まる七番相撲で敗れ負け越してしまった。現在、陸奥部屋の栃木県足利合宿で稽古に集中しているモンゴル出身のホープは「来場所で絶対に昇進を決めたい」と力強く宣言した。

 霧馬山(きりばやま)。本名・ハグワスレン・ビャンブチュルンは1996年4月24日、モンゴルの首都ウランバートルから600キロ離れたドルノドゥで生まれた。父親は羊を飼育する遊牧民で生まれた時から距離が離れた2か所のゲルと呼ばれる住居用テントで過ごした。幼い頃から父の仕事を手伝い「馬にも乗っていました」と明かすなど生活の中で自然と足腰が鍛えられた。

 転機は3年前の2014年。知人から「日本で相撲取りになるテストを受けないか」と誘われ、「力士になるつもりはなかったんですが何となく受けました」と明かすように興味本位で来日。同じようにテストを受けるために集まった4人のモンゴル出身の若者たちと共に陸奥部屋で稽古した。

 柔道経験はあったが、相撲を取るのはもちろんこの時が初めて。身長こそ180センチを超えていたものの体重は70キロにも満たない細い体だったが「5人の中で一番センスがあった」と陸奥親方(元大関・霧島)は振り返る。

 ただ、当時、親方は外国出身の力士を弟子にする意向はなかった。モンゴル出身の若者を稽古させたのも後援者から頼まれたため、言わば、やむを得なく「テスト」という形で稽古を見た形だった。実際、親方自身、獲得へ動かず1か月ほど経たころに後援者から「誰を取りますか?みんな待ってますよ」と尋ねられたという。

 その際、来日した時に最も相撲センスがあったことに加え「力士になって親孝行したい。ゆくゆくは日本に両親を呼びたい」と目を輝かせた霧馬山の言葉に胸が揺さぶられたことを思い出し、「この子だったら」と弟子として受け入れることを決断した。

 初土俵は15年夏場所。3場所目の九州場所で7戦全勝で三段目優勝を飾り16年初場所で新幕下と順調に出世したが、同年名古屋場所前に右膝靱帯(じんたい)を損傷し全休する挫折を味わった。「ケガをした時は辛かったですけど、ケガをしないような体を作らないといけないと勉強になりました」と霧馬山。辛い体験をバネに三段目に陥落した翌秋場所で6勝1敗の好成績を収め、幕下に復帰。昨年の秋にケガで再び休場も今年夏場所で幕下優勝を飾り一気に次を担うホープとして注目を集めた。

 あと一番で関取の座を逃した先場所を「最後の相撲の前日に勝てば関取になれるとかいろいろ考えて眠れなくて、土俵では緊張してしまい自分の相撲が取れなかった。先のことを考えずに目の前の相撲に集中しないといけないことを学びました」と振り返る。陸奥親方も「先場所最後の一番なんかガチガチだった。でもいい経験したと思う。先場所負けて良かったと思えるようしっかり力を付けて欲しい」とエールを送った。

 親方は負け越した後に霧馬山を呼んでこう伝えたという。「お前は、自分で横綱を目指してやるって言って入ってきたんだ。お前が見ているのはもっと上じゃないのか。だから、十両になるのはただの通過点だ。そのために今やるのは稽古しかないぞ」

 親方の言葉に霧馬山は「ありがたい言葉に目が覚めたような気持ちになりました。親方のおっしゃるように自分が目指すのはもっと上です。ここで緊張していたのでは、ダメでそのためにもっと稽古しないといけないと思いました」と明かす。今回の足利合宿では途中、腰を痛め親方から「無理しないで休んでいいぞ」と声をかけられたが志願して毎朝、土俵に上がり四股、てっぽう、すり足など基本を徹底し汗を流した。「腰を痛めてもやろうとする気持ちがあるから大丈夫だと思う」と負け越しを糧にしようとする姿に親方も目を細める。

 実りの秋へ目標はただひとつだ。「必ず関取になって親方、おかみさん、お世話になった方々、両親へ恩返しをします」と決意。目標は同じモンゴル出身の元横綱・日馬富士。「日馬富士関のような気持ちが強くて一気に攻める相撲を取りたい」と一気に関取へ駆け上がることを誓っていた。

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