【西東京】日大鶴ケ丘・勝又、154球力尽く

サヨナラ負けを喫した日大鶴ケ丘・勝又(中)はナインからねぎらいを受ける
サヨナラ負けを喫した日大鶴ケ丘・勝又(中)はナインからねぎらいを受ける

◆第100回全国高校野球選手権記念西東京大会 ▽決勝 日大三5x―3日大鶴ケ丘(30日・神宮)

 左翼席に突き刺さったサヨナラ弾を目で追うと、その場で座り込んだ。今秋ドラフト候補の最速152キロ右腕・勝又温史の154球目だった。今大会最多の熱投も、4年ぶりの夏切符には届かなかった。

 メダル授与式後、全身に痛みを訴えた。神宮のグラウンド内まで救急車が入り、都内の病院に搬送。同校によると、脱水症状を伴う熱中症を発症し、点滴による加療を行った。14日の3回戦・永山戦でも熱中症で途中降板。ドクターストップにも本人の強い意志で出場を続けた。酷暑の激闘で体は限界だったが、試合終盤でも140キロ台後半の速球で投げ続けたエース。萩生田博美監督(45)は「(初回に)2ランを打たれてからスイッチが入ってました」と、決勝にかけた気持ちを代弁した。

 斎藤北斗主将は、春季都大会後に正捕手不在により急きょマスクをかぶった急造捕手だった。右腕に「申し訳ない。自分のせいだから」と涙ぐみながら伝えると「いいキャッチャーだった」と声をかけられたという。当初は勝又の剛速球を受け止められずに苦労したが、主将は「あんないいピッチャーのボールを受けることができたことは本当によかった」と振り返る。「勝又はこれから野球を続けていくと思うが応援していきたいです」と話すと、少しだけ笑みを浮かべた。(伊藤 明日香)

 ◆勝又 温史(かつまた・あつし)2000年5月22日、東京・狛江市生まれ。18歳。小3から狛江ロッキーズで軟式野球を始め、投手も経験。中学時代は狛江ボーイズに所属し、主に外野手と捕手。3年時は投手も務めた。日大鶴ケ丘では1年夏からベンチ入り。2年秋までは投手兼外野手。5月中旬の桐光学園(神奈川)との練習試合で152キロを計測。球種はカットボール、カーブ、スプリット、スライダー。180センチ、76キロ。右投左打。

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