以前、仲代達矢に尋ねたことがある。主宰する私塾・無名塾の40年の歴史で最も印象に残る弟子は誰か、と。名優は即答した。
「すごいな、と最初から思ったのは役所広司ですね。彼は入塾試験で大きな声を出しすぎて気を失ったんです。山で遭難して死にそうになる演技で『誰かいないか~! ヤッホ~!』と叫んで倒れてしまった。で、おい大丈夫かと駆け寄ったら、なかなか二枚目じゃないかと。彼は本当に素朴な人間ですよね。今もずっとあの時のままのような気がします」
最近、1978年の一日のことを役所広司に尋ねた。なぜ無名塾を志したのか、ということも。
「高校卒業後に長崎から上京して千代田区役所に4年勤めて、東京は自分には合わない、もう田舎に帰ろうと思った頃に、先輩にもらった切符で仲代さんの『どん底』という舞台を見に行ったんです。まさに『どん底』の時に(笑い)。舞台を見るのも初めてだったんですけど…こんなに心を動かされるものがあるんだなって。汗だくで演じている同世代の俳優さんたちがキラキラしてて。ああ、僕もやってみたいなと思ったんです」
直後、新聞の片隅に「無名塾 塾生募集」の文字を発見する。
「田舎に帰る前に受けてみよう、と思ったんです。え!? 仲代さんもおっしゃってました!?貧血を起こしちゃったんですよね。栄養状態も良くなかったんでしょう(笑い)。その後にパントマイムの試験もあって、仲代さんは『休んで休んで』とおっしゃったけど、僕は受けようとしたんですね、けなげにも。言われたこと? 覚えてますよ。『デカい声、出るじゃないか』って(笑い)」
公開中の映画「孤狼の血」。スクリーンから放たれる役所広司のデカい声を聞きながら、私は思うのだ。あの日、彼が出した声のデカさはこんなもんじゃなかっただろうと。人生を変える「転機の声」だったのだから。 (記者コラム)
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