志村けん、「ファミリーヒストリー」でいかりや長介さんの思いを知り感謝

志村けん
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 お笑い芸人・志村けん(68)が28日放送のNHK総合「ファミリーヒストリー」(月曜・後7時半)に出演し、自身の半生を振り返った。

 番組では志村のルーツを紹介。戦国時代は甲州武田家に仕えていたとされ、志村家は分家で志村の兄で18代目という家系だった。父・憲司さんは、豊島師範学校(現・東京学芸大)を経て教員となり、柔道5段の腕前だった。

 家では寡黙で笑わない憲司さんだが、家族でテレビで劇団の芝居を見ているときに笑ったという。志村は「いつも笑わないオヤジを笑わせるのはすごいなと思った」とお笑いを志すきっかけになったことを語った。

 憲司さんは1962年に自宅前でバイク事故に遭い、3年後に脳内出血による記憶喪失だと診断を受け、47歳で休職した。

 志村はその3年後、高校卒業の直前に、いかりや長介さんに弟子入り。志村は「マンションの前をうろうろして。雪が降って寒かったけど、午後8時か9時にいかりやさんが帰ってきて。1週間後に電話があって、『後楽園ホールに来なさい。(その後)東北に旅するから用意して』って言われて」と弟子入りの様子を語った。父・憲司さんの名前を取って芸名を「けん」にしたという。

 下積み時代は月給5000円で、メンバーの残したラーメンをかき集めて食べたことや、移動の寝台列車では楽器の見張り番をすることで寝られなかったなどのエピソードが紹介された。

 志村がドリフターズの正式メンバーになったのは74年、その1年前に憲司さんは亡くなった。母・和子さんは「1番のファン」を公言し、志村の活躍を伝えるスクラップブックを何冊も残していた。志村は「あんなにあったんですね。あんなに分厚く…」と驚いていた。

 志村はいかりやさんについて「怖いですね。顔は思った以上にでかいんですね。あんまり見ちゃいけないんだけど、見てしまって。確かに唇でてんなって」と感想を語った。

 不仲説もささやかれた2人の関係だが、いかりやさんの長男・碇矢浩一さんが番組で亡くなる前にがんで闘病している時の状況を証言。「自分でチケットを手配して、志村さんの舞台を見に行ったんです。(亡くなる)3、4か月前に…」と知られざるエピソードを紹介。「今思えば、人生の締めくくりとして聖地巡りとかそんなつもりがあったんだと思う」と語った。

 浩一さんは、いかりやさんが亡くなる直前に書いたメモ書きも紹介。得意技として「オッス!」「次、行ってみよう」「駄目だこりゃ」などの走り書きとともに「加藤、志村、えらい」と書かれたメモを紹介した。

 浩一さんの紹介VTRをじっと見守った志村は番組ラストで「1人じゃ何もできないってすごく感じます。家族や周りの人の力がないと何も…」と感じ入っていた。

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