中央競馬担当15年、頭から離れない馬・シンボリクリスエス…引退の有馬記念で有終

2003年の有馬記念、ゴールの瞬間にシンボリクリスエスに立ち上がって歓喜の声をあげたペリエ騎手
2003年の有馬記念、ゴールの瞬間にシンボリクリスエスに立ち上がって歓喜の声をあげたペリエ騎手

 競馬に関心がない人でも、一度は有馬記念という名前を耳にしたことがあると思う。注目度が高い年末の有馬記念が今年も間近に迫ってきたが、中央競馬の担当記者になってから15年が経過しても、頭の片隅から離れない馬がいる。

 その馬とは、2003年の引退レースで有終の美を飾ったシンボリクリスエス。競馬界のレジェンドと呼ばれる藤沢和雄調教師によって数々のタイトルを手にした名馬である。2002年は3歳のクラシックレースを勝つチャンスに恵まれなかったが、古馬相手の天皇賞・秋と有馬記念を制覇。そして、4歳になっても天皇賞・秋を連覇して、ラストランの有馬記念を9馬身差で圧勝した。

 現場で取材に奔走していた記者として忘れられないのは、9馬身というパフォーマンスではない。そうした結果を導き出した名匠の取り組み方にあった。

 当時から競馬サークルは「西高東低」と言われ続けてきた。昭和時代から優位を保っていた関東馬が劣勢になり、関西馬が隆盛を極めた逆転現象。それを生んだ要因は複数あると思われるが、そのひとつとして関係者が訴えていたのが坂路の長さと傾斜だった。

 当時の坂路は、人工的に盛り土で造った美浦トレーニングセンターが600メートルで高低差は約15メートル。それに対し、自然の勾配を利用して造った栗東トレーニングセンターが800メートルで高低差が25メートル。高低差を比較すれば、負荷をかけたトレーニング効果は圧倒的に後者に分があった。

 美浦トレセンは2004年秋の改修で800メートルまで延長したが、シンボリクリスエスは新しい坂路を積極的に利用しなかった。有馬記念が開催される12月は寒冷期で汗をかきにくく、530キロ台の大柄な馬体でトレーニングを怠れば体が絞れなくなる時期。いつも利用するクッションの利いたウッドチップコースは凍結して硬くなるため、脚元の故障につながりかねない。栗東より勾配の緩い坂路では調教で負荷をかけることができなかった。

 藤沢和調教師は強めの調教をする際、通常では使用頻度が少ない芝コースを選択した。有馬記念の1週前、当該週とも、通常より長めの芝コースの1400メートルから調教を課した。現状で使える美浦の施設をフル活用してラストランへの仕上げに集中した。

 結果は衝撃的な9馬身差V。坂路施設の是非を問う以上にシンボリクリスエスの能力がずば抜けていた可能性があるが、藤沢和調教師は歴代2位の1380勝を挙げている。西高東低と言われながらも、現役で他を大きく突き放す結果を、美浦で残してきた事実はかなり重い。

 数年後、藤沢和調教師に当時の意図を聞く機会があった。

 「昔と違って、血統が進化して、馬が走る馬場も改良されてきた。今ではやりすぎるとオーバーワークになってしまうし、調教で時計を出さなくても走ってしまう。普段が大事。(調教前後の)運動をしたり、馬を取り扱ったりしている時間の方が長い。数十秒の調教だけで馬を強くさせるのは難しいし、無理だと思う」

 藤沢和師から坂路に関する不満どころか、外部の環境に左右されず、いかに普段の調教から注視すべきかを説かれた。

 これは馬の世界に限った話ではないかもしれない。結果が出ないことを環境など外部の要因に求めてはいなかったか。現状でもできることはあふれている―。藤沢和師の姿勢は、我々に対するメッセージであったのではないかと思わずにいられない。不利と言われる美浦で有馬記念を圧勝したシンボリクリスエスと藤沢和調教師から人生の教訓を得た。(記者コラム・牧野 博光)

コラムでHo!とは?
 スポーツ報知のwebサイト限定コラムです。最前線で取材する記者が、紙面では書き切れなかった裏話や、今話題となっている旬な出来事を深く掘り下げてお届けします。皆さんを「ほーっ!」とうならせるようなコラムを目指して日々配信しますので、どうぞお楽しみください。

競馬

NEWS読売・報知 モバイルGIANTS 個人向け写真販売 ボーイズリーグ写真 法人向け紙面・写真使用申請