【浦和】MF田中達也にインタビュー バスケからも研究する“戦術マニア”「技術がないから考えてプレー」

浦和MF田中達也

 大分から新加入した浦和のMF田中達也(28)がこのほど、スポーツ報知のインタビューに応じ、新天地での活躍を誓った。幼少期から憧れ、01~12年に浦和で活躍した同姓同名のレジェンドの背番号11を背負う。不遇の時期を経てプロ4年目の18年にJ2熊本でブレイク、自他ともに認める“戦術マニア”の思考、サッカーとバスケットボールとの戦術の意外な共通点など、独特な視点で語った。(星野 浩司)

 ―今月13日の練習試合・J2相模原戦で1得点と動きにキレが見られました。コンディションは?

 「沖縄キャンプ中の練習試合で痛めた箇所があって、それまでめちゃくちゃいいコンディションだっただけに悔しさがありました。ケガを引きずってたけど、相模原戦は今年の練習試合で初めて良い状態でプレーできました。徐々に心肺的な部分やゲーム勘を取り戻して、100%に近づけていけば今年は本当に良い状態でいけると思う」

 ―オフには、男子200メートル障害の元アジア最高記録保持者・秋本真吾氏の指導を受けてスプリント力を強化した。

 「秋本さんの指導は2年ぶり2回目。単純に速く走るだけではなく、サッカーに近い動きの中でどう加速するか。長い距離より、短い距離を方向転換をしながら走る。フォームの改善、筋トレやベース作りを重点的に言われました。加速の部分は変わりましたね。走り出しのスピード、キレは去年より出ていると思います」

 ―浦和では、同姓同名のレジェンド・田中達也さんの背番号11でプレーします。

 「すごく意識します。小学5~6年から意識してたし、憧れてました。当時はJリーグを映像でなかなか見られなかったので、日本代表の達也さんのプレーをよく見てました。名前が一緒なので、実況の人が名前を呼んで良いプレーをしていると自分もうれしくなったり。代表の達也さんのユニホームTシャツは持ってました。今も実家にあると思います。まわりから『田中達也ならドリブルだろ』とか言われて嫌じゃなかったし、憧れてたのでうれしかった。それでだんだん好きになったんです」

 ―本人と交流は?

 「(九産大時代に)熊本の特別指定選手で浦和と練習試合をした時、初めて対戦して勝手に間近で見てました。2018年に新潟と試合した時に初めて話して、連絡先を交換したんです。移籍が決まって11番になった時に連絡させてもらって、『注目して見ているし、新しい田中達也像を作ってくれ』と言われて、すごく励みになりました」

 ―“新・田中達也像”を期待しています。改めて、サッカーを始めた時期やキッカケは?

 「7歳の時、町内で近所に住んでた5歳くらい上のお兄ちゃんがサッカーやってたから始めました。よく2人でボールを蹴ってました。偶然ですけど、その人も『達也くん』っていうんです。おもしろいですよね(笑い)」

 ―福岡U―15からユース昇格を逃し、東福岡高からプロ入りできず。九産大へ進んだ。

 「福岡のユースに上がれなかったのは、今考えるといろんなことが足りてなかった。かなり悔しくて落ち込んだけど、次の日には切り替えてましたね(笑い)。高校時代もプロからのオファーは全然なくて、監督に『この大学がほしがっているから行ってこい』と言われて『分かりました!』と。中学の時もそういう感じだったので、同じ流れが2回続いた感じでした」

 ―15年にJ2熊本へ入団。J1のG大阪、大分、浦和と着実に個人昇格してきた。順調なステップアップでしたか?

 「いや、苦労ばっかりです。3年目までまともに試合に出てなくて、苦しい思いばかりでかなり追い込まれてました。3年目が終わる頃は、サッカー選手を続けられるかかなり不安でした。でも、3年目までで学べたことも多かった。チャンスをもらえれば4年目どうにか…と思ってました」

 ―当時、支えになった恩師や先輩の言葉は?

 「僕はもうキタジさん(北嶋秀朗・現大宮コーチ)がいなかったら、J1でプレーできてない。めちゃくちゃ大きな存在です。心が折れそうな時も『今が踏ん張り時だ』と励ましてくれたし、めちゃくちゃ厳しいことも言われた。愛情があったなと思います。今回、浦和に行くと伝えた時も『自分で決めて、そこで頑張れるならいいんじゃない』『どこにいてもJ1で結果を残して頑張ってほしい』と言ってくれました」

 ―有限実行で、4年目の18年には42試合で9得点11アシストとブレイクした。

 「3年目まででいろんなことを学んだこともあったし、(18年に熊本監督に就任した)渋谷(洋樹)さんのサッカー、今のリカ(ルド・ロドリゲス・浦和監督)さんと同じポジショナルプレーに出会えて、自分の明確な役割を与えられて能力が発揮しやすくなったのが大きなキッカケです」

 ―田中選手といえば、自他ともに認める“戦術マニア”ですね。サッカーの映像はどれくらい見ますか?

 「キャンプ中は1日2試合くらい、合計20試合は見ました。プロ3年目まではYouTubeでドリブル、裏への抜け出しと個人のプレー集を見てたけど、18年にポジショナルプレーの戦術に出会ってから、自分の中でのサッカーはめちゃくちゃ変わった。丸々1試合を見て、どういう構造・仕組みかを探るのがめちゃくちゃ好きになったんです。マンチェスターシティー、チェルシー、ライプチヒの試合を見て『この選手はここまでのタスクを与えられているのかな』と研究したり。『この動きいいな』と思った映像は、スマホやiPad、パソコンに残して見返します」

 ―頭の中は戦術でいっぱいですね。

 「大分の頃とかに『戦術くんとか言われて戦術が好きなくせに、コンビネーションプレーが苦手』とよく言われてたけど、そうなるのがおかしい。けっこう不服でしたね(笑い)。例えば、シティーでも1対1で仕掛けられる選手が外にいて、相手がそれに対応して広がるから中のスペースが空くのも戦術。その場面で自分が外に張って仕掛ける方がチームとして有益なら、外に張っとくのも戦術なんです。僕は技術がないし、狭いところでプレーするのが苦手。技術的に他の選手に劣っている自覚があるからこそ、考えてフリーになれるようにプレーしないとと考えるんです」

 ―深いですね。サッカー以外のスポーツも見るんですか?

 「フットサルやバスケットボールは見ますね。バスケはサッカーに通じるおもしろいプレーが多い。バスケの先生のツイッターをフォローして、その人の動きはすごく勉強になります。スクリーンとか、選手がどうフリーになるとか。3ポイントシュートを持っている選手をどうフリーにするかは、サッカーでドリブルやシュートを持っている選手にどうフリーな状態を作るかに似ている。参考にしてます」

 ―日々、研究を惜しまないんですね。昨季は自身J1最多の8得点。浦和でもゴールへの意識は高いのでは。

 「得点を取りたいとはそこまで思ってないです。ゴールでもアシストでもどっちでもいい。その試合で自分がどういうプレーをしたらチームにとって一番良いか、うまく判断できたらいいな。例えば、サイドからクロス上げ続ける方がよければそうする。ゴールもアシストも積み重ねていける、チャンスを多く作れるような選手になっていきたいです」

 ◆田中 達也(たなか・たつや)1992年6月9日、福岡県出身、28歳。7歳でサッカーを始める。福岡U―15を経て、東福岡高では2009年度の全国高校選手権に出場。九産大に進み、11にはJ2熊本の特別指定選手としてリーグ戦に初出場。15年に熊本でプロ入りし、18年は岐阜で42試合9得点と活躍。G大阪、大分を経て、今季から浦和に完全移籍。利き足は右。家族は両親と姉。172センチ、69キロ。

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