渡哲也さん、倒産寸前石原プロへあえて入社“映画俳優”封印して支え続けた「男気」の人…評伝

渡哲也さん

 「男気」という言葉が最も似合う俳優だった。

 高校生の時からファンだった石原裕次郎さんに憧れ、同じく俳優への道へ進んだ渡さん。デビュー当時、裕次郎さんが率いる石原プロは、巨額の資金を投じて映画「ある兵士の賭け」を製作したが、大失敗して6億円の負債を抱えた。日活でデビューした新人の渡さんは、当時のサラリーマン4年分の給料に当たる全財産180万円を寄付。裕次郎さんは受け取らなかったが、渡さんはその後、倒産寸前の同社にあえて入社。スタッフたちを鼓舞した。

 悪化していた石原プロの経営を立て直すため、76年からはギャラの良いテレビドラマに本格進出。「大都会」「西部警察」のヒットで倒産寸前の石原プロを見事に立て直した。ただ、葛藤もあったようで、石原プロ50年史では「石原プロを辞めようと思ったことは何度もありました。どうしても映画をやりたかった。しかし、やはり裕次郎さんの傍(そば)にいた方が心地良かったのです。私は『俳優・渡哲也』を封印したのでした」と振り返っている。

 87年には裕次郎さんが死去。当時、副社長だった渡さんは、社員を路頭に迷わせないため、社長就任を決意。裕次郎さん亡き後の石原プロを先頭に立って支え続けた。2011年、裕次郎さんの社長在籍期間だった24年を迎え「それを超えるわけにはいかない」と自ら社長を退任した。

石原プロモーション相関図

 今年7月17日、まき子夫人が、2021年1月16日に石原プロ解散を決定したが、渡さんは「裕次郎さんらしく、惜しまれるうちに株式会社石原プロモーションの商号を返しても、裕次郎さんは承知してくれるのではないですか」と快諾したという。晩年は病魔との闘いが長かったが、自分のことは二の次で、常に裕次郎さん、まき子夫人、後輩俳優のことを最優先に考えていた。

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