さらば大門 渡哲也さん78歳で死去…天国の裕次郎さんのもとへ

2012年9月、ドラマ「強行帰国」制作発表に出席した渡哲也さん

 呼吸器疾患で療養中だった俳優の渡哲也(本名・渡瀬道彦、わたせ・みちひこ)さんが、10日午後6時30分、肺炎のため死去した。78歳だった。所属事務所の石原プロモーションが14日、発表した。1976年の日本テレビ系ドラマ「大都会」シリーズ、79年のテレビ朝日系「西部警察」シリーズでお茶の間のスターとなり、87年に石原裕次郎さん(享年52)が亡くなった後は、石原プロを長年にわたって支え続けた。

 石原プロを支え続けた大俳優が、この世を去った。関係者によると、渡さんは2017年から呼吸器疾患のため都内の自宅で療養していたが、9日朝4時に容体が急変し、都内の病院に搬送された。病院では医師から「長くて2週間」と言われたが、搬送翌日の10日午後6時30分に肺炎のため都内の病院で息を引き取った。俊子夫人が最期をみとった。

 渡さんの最近の様子について、石原プロの浅野謙治郎専務(73)は「療養中とはいえ、室内バイクなどに乗って体力回復に努めていました。声にも張りがあって、元気な様子でした。8日に渡さんから電話がかかってきて『変わったことはないか』と。『(松竹梅のCMが)大変好評です』と答えると、渡さんは『それはよかった』と答えていました」と明かした。

 石原プロによると、葬儀は、渡さんの「静かに送ってほしい」という強い希望により、この日、家族葬を執り行った。お別れ会も渡さんの意向により行わないという。

石原プロモーション相関図

 病と闘い続けた生涯だった。1974年のNHK大河ドラマ「勝海舟」は肋膜(ろくまく)炎のため途中降板。91年には直腸がんも患った。15年6月には急性心筋梗塞(こうそく)で緊急入院。リハビリを続け、11月には仕事復帰を果たしたが、療養の日々が続いていた。

 最後の公の場となったのは17年9月、都内で宝酒造「上撰松竹梅」のCM撮影。CMで共演した女優の吉永小百合(75)とともにマスコミ各社の取材にも応じ「最後の一本は吉永さんとご一緒したい。大ラブシーンがあるのを」と銀幕復帰の希望を語っていた。

 その後は、体力の衰えから公の場に出ることはなくなり、最後の撮影は19年9月、同じく吉永と共演した20年の正月用の同社CM「令和のお正月」編。最後の仕事は20年6月、同商品50周年を記念した新CM「よろこびをお伝えして50年~幻の共演~」編のナレーション収録を自宅で行った。同CMでは石原裕次郎さんとの合成映像でCM“初共演”を飾った。

渡哲也さんの主な出演作

 航空整備士を志望していた渡さんだが、裕次郎さんに憧れ、一目会いたいと訪れた日活撮影所でスカウトされ、64年に日活入社。翌65年に映画「あばれ騎士道」で主演デビューを果たした。68年に第1作が公開された「無頼」シリーズは最初の代表作となったが、71年に日活を退社し、石原さんを慕って石原プロモーションに入社した。73年には歌手として「くちなしの花」を発表。約150万枚を売り上げるヒットとなり、翌年のNHK紅白歌合戦に出場した。

 悪化していた石原プロの経営を立て直すため、76年からはテレビドラマにも本格進出。同年開始の主演作「大都会」シリーズ、79年オンエアスタートの「西部警察」はサングラスの似合うダンディーな姿が国民的な人気を呼んだ。

 今年の7月17日、裕次郎さんの命日に、石原プロは来年1月16日での解散を発表した。渡さんは一つの節目を迎えたことに安心した様子だったという。

 ◆渡 哲也(わたり・てつや)本名・渡瀬道彦。1941年12月28日、兵庫県淡路島生まれ。青山学院大4年生時に日活入り。66年の映画「愛と死の記録」でブルーリボン新人賞。96年「わが心の銀河鉄道 宮沢賢治物語」で報知映画賞助演男優賞など。76年の日本テレビ系「大都会―闘いの日々―」からドラマにも進出。「西部警察」などがヒットした。歌手としても73年に「くちなしの花」がヒットし、紅白歌合戦に2回出場した。

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