ダルビッシュ有「また投げたい チャンス下さい」…東北・若生正広元監督が振り返る2003年夏準V

03年夏の甲子園決勝で常総学院に敗れ涙を見せたダルビッシュ

 甲子園交流試合に出場する東北勢3校が、15日の第4日から登場する。彼らがプレーする甲子園で、かつて躍動した東北地区の高校を当時の写真とともに振り返る「みちのく あの夏」は、好投手・ダルビッシュ有(33、現カブス)を擁して2003年夏に準優勝した東北(宮城)が登場。当時のチームを指揮した若生正広監督(69)の脳裏には、さまざまなダルビッシュの姿が残っていた。(取材・構成=有吉 広紀)

2年時の03年夏、甲子園で力投するダルビッシュ

 14日の試合で白星を挙げ、現在日米通算159勝と日本を代表する投手に成長したダルビッシュ有。6月には室内練習場の人工芝整備を援助したりと、今でも母校・東北を気にかけている。若生監督によれば、当時はけがとの“折り合い”が難しかったという。

 「本人が投げたくても成長痛で、ひざや下半身が痛くてね。1番苦労したところ。トレーナーから投球禁止と言われても、独自で医者に行って相談したりしていた」

 2年生エースとして03年夏の甲子園に出場。だが1回戦・筑陽学園戦は腰を痛めて2回降板、2回戦・近江戦は1失点完投も10安打を浴びるなど、調子が上がらなかった。近江戦の夜、ダルビッシュが指揮官の部屋を訪ねてきたという。

 「ふがいなくてすいませんでした、また投げたいです、チャンスをください、と言ってきた。絶対に無理するなと教えていたし、積極的に言ってくるなんて珍しかった」

 続く平安との3回戦では11回を1人で投げ抜き、2安打15奪三振で有言実行の完封勝ち。だがこの大会は準優勝に終わり、ダルビッシュは決勝後に大粒の涙を流した。宮城に戻り、新チームが始動。ダルビッシュが主将となったが、これにも裏話があった。

 「3年と1、2年で(主将に支持する)選手が違った。その2人を呼んで、(片方の選手に)ダルビッシュを注意できるかと聞いたら『できません』と。ダルビッシュに同級生を注意できるかと聞いたら『できます』と。その差です。主将が同級生を注意できる、できないは大きい」

 04年センバツは8強敗退も、1回戦・熊本工戦で無安打無得点試合を達成。むかえた最後の夏、プレーではないダルビッシュの動きに指揮官は気づいたという。

 「毎回毎回投手に水を運んだり、バットボーイ(打ち終えた打者のバットを持ってくる役目)もしていた。こういうことをするんだ、と思った。感受性が高い子なので、特別扱いされるのが嫌。主将をやらせてよかったのは謙虚さが出たことで、周りを見て気遣いできるようになった」

 宮城大会の先発は利府との決勝だけ。疲労も少ない状態で臨んだ甲子園は1、2回戦と連続完封した。千葉経大付との3回戦も、9回2死までリードしながら追いつかれて逆転負け。優勝には届かなかったが、堂々としたマウンドさばきは指揮官の目に焼きついていた。

 「余裕が違った。見下ろしてました。みんなが必死になって、いっぱいいっぱいになるのに。すごいと思いました。甲子園であれだけ余裕を持って投げられた投手は見たことがない。(現在のダルビッシュは)時間があれば見ます。フォームから何から、手に取るようにわかる。安定しているし、今年はいいと思いますよ」

 ◆若生 正広(わこう・まさひろ)1950年9月17日、宮城・仙台市生まれ。69歳。東北では3年夏に甲子園出場。法大から社会人野球を経て、87年に埼玉栄の監督に就任。93年に母校・東北の監督となり、2004年に退任。05年に福岡・九州国際大付の監督に就任し、14年に退任。15年に埼玉栄の監督となり、19年に勇退。甲子園には東北で春5度夏2度、九州国際大付で春1度夏3度、計11度出場。

すべての写真を見る 2枚

最新一覧