【小池啓之の高校野球見聞録】長髪や白いスパイク…時代の変化も変わって欲しくないひたむきプレー

「1週間500球」の球数制限のため南北海道大会決勝戦で途中降板した札幌国際情報のエース・原田

 南北海道は札幌第一、北北海道はクラークの優勝で今年度の夏季大会が終了した。高校球児の最大目標である甲子園は新型コロナ禍で消滅しても、選手たちはベストのプレーを繰り広げた。

 開催にあたって関係各位の努力も並々ならぬものがあった。入場の際は検温を徹底、試合途中・終了時には審判の先生方がベンチ内を消毒し、主審もマスクを着用するなど、可能な限りの防護策を講じた。入場を許可された保護者も応援や間隔に気をつけて見学していた。残念ながら、見学者のごく一部に使用禁止トイレの使用、禁煙区域での喫煙なども見受けられたが、おおむね守られていた。

 グラウンド内で例年と変わったことと言えば、長髪の選手や白いスパイクを履く選手が増えたことだ。これも時代の変化か。だが、昔から変えてはいけないものもあるはず。選手には、ひたむきに白球を追い求め、純真で、泥臭いプレーを切望する。

 南大会では、大きな出来事が2つあった。一つは準決勝。立命館慶祥が9回表に追いつき、更に攻撃中のところで日没となり、結局8回日没コールドで敗れた。選手、監督は複雑な気持ちだったと思う。もう一つが決勝での札幌国際情報・原田投手の投球数。今年度のルールでは1週間で500球の球数制限があり、途中降板となった。無念だったはずだ。

 2003年の夏の甲子園1回戦。駒大苫小牧が倉敷工(岡山)相手に途中まで8―0と一方的にリードしていながら雨が強まってノーゲームとなり、翌日、仕切り直しの試合で負けた。その試合に2年生で出場していた現・駒大苫小牧監督の佐々木孝介先生は「翌年の大会でも忘れていませんでした。全国優勝できたのも、あの悔しさがあったからです」と断言する。立命館慶祥も札幌国際情報も、後輩たちが悔しさを忘れないはずだ。

 最後に、ルールやマナーを守ることは人として格好いい。「誰も見ていなく、車も来ていない赤信号を静かに待っている大人」。私は、そんな人間になりたいと思っている。

 ◆小池 啓之(こいけ・ひろゆき)1951年11月15日生まれ。68歳。東京・品川区生まれ。兵庫・市立尼崎高から駒大を経て77年から旭川龍谷コーチ。甲子園は78年夏にコーチ、83年夏に監督で出場した。98年から鵡川に赴任。02年は部長としてセンバツ出場。同年8月に旭川南の監督に就任。07年は元日本ハムの浅沼寿紀(現・球団職員)を擁してセンバツ出場。一昨年7月で勇退した。

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