【五輪の深層】聖火が消える瞬間の感動…ソウルから支え続け32年の組織委参与・上治丈太郎氏

1964年東京五輪の閉会式で、スタンド前で別れを惜しむ選手たち

 東京五輪の競技日程が正式に決定し、あらゆるアスリートが、改めて目標やピーキングを明確に設定できるようになった。7月23日の池江璃花子選手の「+1メッセージ」は、医療従事者への感謝も伝え、五輪はいろいろな方のお陰でできるものとの認識を深め、来年へ希望の炎となったと思う。

 前回のコラムでは主に夏季大会の開会式について書いたが、多少の補足と、冬季大会のセレモニーについても少し触れておきたい。

 1992年バルセロナ大会で、ソ連から独立して初参加したリトアニア選手団の公式ユニホームを担当したのが、三宅一生さんだった。素材提供は東レ、製作をミズノが担当した。

 式典の時間、競技場の照明の位置、入場時の音楽など、選手団がメインスタンドを通過するときの見え方までも計算し、ウェア、シューズ、ボタンやアクセサリーの細部に至るまで、たった3分間ほどを素晴らしいドラマのように演出された。本番では、正面スタンド前でライトを浴びたグレーのウェアが銀色に輝いた。リトアニアといえば、日本領事館の杉原千畝氏が戦時、多くのユダヤ人のためにビザを発給して救った逸話がある。同じように三宅さんが貢献されたことは、日本人として誇りであった。

 冬季で衝撃的だったのは、92年アルベールビル大会。31歳の若いプロデューサーの演出により、アルプスの麓で夏冬を通じ初めて夜間に開会式が行われた。少女が1羽のハトを放ち、フランス国歌を歌った。サーカスなどを交えた南仏の踊りは、寒さを忘れるくらい圧巻であった。94年リレハンメル大会はジャンプの発祥地らしく、聖火ランナーがトーチを手にジャンプ台を滑り下りて、聖火台に点火した。

 98年長野大会は劇団四季の浅利慶太氏が総合演出、音楽の指揮は小澤征爾氏が担った。午前11時に善光寺の鐘を合図にスタートし、五大陸からの見事な合唱が映し出された。06年トリノ大会ではフェラーリのF1マシンが会場内を走り抜け、14年ソチ大会は想像を超えるスケールで、プーチン大統領の存在感を示した。18年平昌大会は北朝鮮の金与正氏、米国のペンス副大統領らが出席し、政治色が強いものになった。

 今年は本来なら8月9日が閉会式だった。各国選手が思い思いに入り交じって入場する光景はおなじみだが、これは64年東京方式と呼ばれる。選手同士の友情や、別れの名残惜しさから生まれる一体感が素晴らしく、その後も定着した。

 私自身、88年ソウルから12年ロンドン大会まで、当該の組織委、スポンサー、国際競技団体などと様々な契約に携わってきた。大会終了まで、交渉ごとや商品の納品、設営などで困難や新しい課題に直面し、苦労も多かった。それだけに閉会式で五輪旗が降納し、聖火が消える瞬間は、どの大会もこれで五輪が終わった、という達成感、安ど感で不思議な感動を味わう。開会式で抱く、やっとここまでたどりつけた、さあ始まるぞという喜びとは違い、「やり遂げたぞ」と叫びたくなる。いずれも、生涯の宝物となる経験だ。

 組織委やボランティアの皆さん、最高の感動や達成感もモチベーションの一つとして、あと1年頑張っていきましょう。

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