卓球をメジャーに!水谷隼メダルへの原動力…集大成の金メダルへ「全てを懸けたい」

水谷隼

 2016年8月11日(日本時間12日)、卓球男子に初の五輪メダリストが誕生した。水谷隼(31)=木下グループ=はリオデジャネイロ五輪男子シングルスで銅メダルを獲得。卓球界の歴史を変えた日から、ちょうど4年の節目にインタビューに応じた。「卓球をメジャーにしたい」と願い続け、3度目の挑戦でつかんだメダル。その重みを振り返るとともに、集大成と位置付ける東京五輪での卓球競技初の頂点への決意を新たにした。(取材・構成=林 直史)

オンラインで東京五輪への決意を語った水谷隼

 「人生変わるな。変えちゃったな」。4年前のリオ五輪、男子シングルス3位決定戦。水谷はサムソノフ(ベラルーシ)に4―1で勝利すると、大の字に倒れ込み、不遇の時代を走馬灯のように思い返していた。男子では史上初のメダル獲得で、個人種目では男女を通じて初の快挙だった。

 「卓球を始めた時から五輪をテレビで見てきて、自分が成し遂げたいという大きな夢があった。団体戦はいつか必ず取れると思っていたけど、でもシングルスのメダルはすごく遠い存在だった。まさか自分が、という気持ちが一番大きかった」

 3度目の挑戦での悲願達成だった。19歳で初出場した08年北京五輪は団体で5位。準決勝でドイツに2―3で惜敗したが、第5試合では岸川聖也がボルとフルゲームの激戦を演じ、日本卓球界初のメダルにあと1ゲームに迫った。「自分たちがまさかそこまで行けるとは思ってなかった」。健闘と言える結果だったが、次第に悔しさが募った。

 「負けたこともそうですが、卓球をメジャーにしたい気持ちが強かった。日本に帰ってきて、フェンシング(銀メダル)の太田雄貴さんが大フィーバーしていた。メダルの影響力や注目度を感じたし、自分たちもああなれたんじゃないかとすごく嫉妬した。実際、自分が五輪に出ても、卓球男子の状況は今までと何も変わらなかった」

 12年ロンドン五輪ではメダルを強く意識したが、第4シードのシングルスは4回戦、団体戦も準々決勝で敗れた。一方で女子団体は初の銀メダルに輝いた。

 「期待されていた分、ロンドンの方が何倍もつらかった。いつも一緒にいた女子の選手も、雲の上の存在になっちゃったなと感じた。メダリストの気分ってどんなだろう。何でメダル取って、まだ競技を続けられるんだろうと考えていた」

 リオ五輪をラストチャンスと覚悟し、13年秋からの3年間はメダル獲得に全てをささげた。ロシア・リーグに挑戦。ドイツの名将、邱建新氏を自費で専属コーチに招いた。食事も揚げ物を控えるなど節制。酒や炭酸飲料はもちろん、朝食の1杯のオレンジジュース以外は「水、お茶、コーヒー、紅茶。それだけ」とこだわった。海外遠征から帰国すれば、そのまま練習場に直行。ストイックな生活で体重も7キロほど落とした。

 「とにかく我慢、我慢の毎日。食事や遊びに誘われても、理由をつけて全部断っていた。最初の2、3回断ったら、誰からも誘われなくなりました。でも、その3年間はずっと成績が良かった。一度も変な取りこぼしがなく、継続するモチベーションになりました」

 努力が実を結び、シングルスの後に行われた団体戦でも銀メダルを獲得。自身は決勝の中国戦で過去12戦全敗だった許キンも破り、6戦全勝で大会を終えた。

 「団体でメダルを取った時は自分だけじゃなく、周りの人生を変えちゃったなと思いましたね。リオのためにずっと頑張ってきて、そのプロセスが良かった。いろんなものが(漫画「ドラゴンボール」の)元気玉のように集まって、力を発揮した。あの時の自分は本当に強かったと思います」

 水谷の「卓球をメジャーに」という思いは中学2年で留学したドイツ・ブンデスリーガの経験が原点だ。

 「ブンデスリーガはテレビやネット放送もあって、ファンの方がすごく声援を送っている。サッカーの試合も何度も見に行きましたが、それに近い感じで、日本で見たことがないような光景だった」

 一時低迷期にあった男子だが、水谷らの活躍で世界選手権で08年から団体で5大会連続、ダブルスで2度の表彰台に立った。だが、当時は福原愛、石川佳純ら女子の人気が圧倒的。世界選手権の結果さえほとんど報道されることがなかった。

 「メディアに取り上げられなければ、卓球を広めることは難しいと思っていた。結果を残せなくて注目されないのは仕方ない。でも結果だけ見ると女子と大差はないのに、テレビ放送やニュースの扱いは98対2、いや100対0でした。納得いかない気持ちがあった」

 14年にはワールドツアーのグランドファイナルで優勝したが、帰国時の空港に報道陣はいなかった。「さすがにショックを受けた。じゃあ、何の大会で優勝すればいいんだと」。苦境を変えるには五輪メダルしかない。その思いを成し遂げたリオ五輪で、風向きが変わったことを感じた。

 「シングルスでメダル取って、まずツイッターにめちゃめちゃ反応があった。フォロワーも2万人からすぐに3、4万。100ぐらいだったツイートへの『いいね』も数万。ツイートや発言、何をしてもすぐにニュースになる。選手村で終始、興奮してましたね」

 帰国後はメディア出演のオファーが殺到した。3週間ほどは全て断らず、卓球界のために発信を続けた。

 「リオの直後は、メダルを取った選手の中でバラエティー番組も含めてメディアに一番出たんじゃないかと思います。(注目度を)一気に上げることが大事だと思っていたので断ることもなかった。帰国してからの3週間ぐらいは毎日3つぐらい予定を入れましたね」

 熱い思いが好循環を生んだ。17年の世界選手権で当時13歳の張本智和が自身を打ち破り、若きエースとして台頭。男子への注目もさらに高まり、世界選手権などのテレビ中継は男女とも高い視聴率を記録するようになった。18年にはTリーグが発足。プロとして活動する選手も一気に増えた。

 「男子だけじゃなく、卓球界全体が変わったと思います。選手一人一人の知名度も上がって、世界卓球とか大きい試合はテレビ放送もあって注目される。マイナーと言われていた昔に比べれば天と地の差です」

 ただ、時間をかけて築いた地位も、結果を残し続けなければ、揺らぐ可能性があるとも感じている。

 「サッカーや野球のように五輪の結果に左右されず、常に人気のあるスポーツに仲間入りできればいいなと思いますけど、やはり五輪のメダルは取り続ける必要がある。他に取る競技もたくさんある。例えば空手やスポーツクライミングのように新種目の強い競技が金メダルを取ればすごい反響があると思いますし、人気や知名度で抜かれてしまうかもしれない」

 危機感を胸に挑む4度目の五輪では、代表を引退するとも公言している。

 「東京五輪を自分の集大成として、そこで一応引退とは思っています。終わった後の具体的なプランがあるわけではない。辞めたいから辞めるわけじゃなく、このまま卓球だけをして人生が終わっていいのか。卓球を離れた時に、自分は何の目的で生きていくのかを知りたい。それを考えた結果、卓球は自分の一番の生きがいだなと思えば戻ってくる可能性もあります」

 東京五輪では団体戦に加えて、伊藤美誠(19)=スターツ=と新種目の混合ダブルスへの出場も決まっている。最新の世界ランク2位。卓球競技初の金メダルも期待されるペアだ。

 「確かに今までの全ての出場種目の中で、一番可能性があると感じている。最初の金メダルが、自分であればうれしいなという気持ちはもちろん強い。五輪のメダルの中でも金は特別。そのチャンスがあるということは大きなモチベーションになっているし、自分はそこに全てを懸けたい」

 日本男子をけん引してきた水谷は再び卓球界の歴史を塗り替え、競技生活に区切りをつけるつもりだ。

 ◆技術的には今が一番

 水谷は現在、ナショナルチームの合宿には参加せず、所属する木下グループの練習場で汗を流している。緊急事態宣言中に約1か月半、ラケットを握れなかった時期はあったが、長期間実戦がない中で集中して練習を積むことで「技術的には今が一番いい。あと1年あったら、どれだけ強くなっちゃうのかなと思う。身体的には少し衰えは感じるけど、そこはトレーニングでカバーしていきたい」と手応えを明かした。

 ◆水谷 隼(みずたに・じゅん)1989年6月9日、静岡・磐田市生まれ。31歳。5歳で卓球を始め、青森山田中2年でドイツへ留学。2005年世界ジュニア準優勝。全日本選手権は歴代最多の10度優勝。17年3月に木下グループと所属契約を結んだ。172センチ、63キロ。左利き。家族は夫人と1女。

 ◆貯金1億、ビッグマウス 後進のため

 水谷は歯に衣(きぬ)着せぬ発言でも注目を集める選手だ。少しでも卓球が話題となるようにあえてビッグマウスを意識した時期もあったが、後進に夢を与えるために目を引く言葉を発してきた面もある。

 例えば、リオ五輪後のテレビ番組で「貯金は1億円以上」と赤裸々に語った。収入を明かすことで反感を買う可能性もあるが、水谷は「お金持ちになりたい、有名になりたい、単純に勝ちたい。何でもいい。自分はこうなりたいと高いモチベーションを持つことで強くなれる」と訴える。「自分の役割はそういうエサをまいていくこと。最近(勢いが)落ちてきてるので、もう一度まかなきゃいけないんです」。そう語る31歳が来夏、金メダリストとなって、どんな言葉を発していくのか楽しみだ。(卓球担当・林 直史)

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