【1995年8月11日】ドジャース・野茂の登板ゲームでまさかの騒動が

1995年8月12日付のスポーツ報知1面

 日本時間8月11日は、野茂英雄が投げて“没収試合”になった日だ。

 1995年、近鉄からドジャース入りした野茂英雄はオールスター戦にも先発し、夏場には一躍日本だけでなく全米でも注目を浴びる投手になっていた。私は8月初旬に取材のため渡米、現地8月10日(日本時間11日)、野茂の雄姿観戦試合が、とんでもない試合になるのを目の当たりにした。

 オールスター戦も先発して人気急上昇中のトルネードが登板することに加え、“ボールナイト”として、来場者全員にボールがプレゼントされたこともあり、本拠ドジャー・スタジアムには超満員の5万3361人ものファンが詰めかけていた。

 野茂は2回にジョーダン、4回にスウィーニーにソロ本塁打を浴びたものの、味方打線の反撃を待ち続けた。1点差に迫った8回裏、主砲キャロスが1ボール2ストライク後の外角スライダーを見逃したが、クイック球審のコールはストライク。これに端を発して、ド軍にとって厳しい判定が続きキャロス、モンデシー、そしてラソーダ監督までもが退場となった。

 この時、激怒した数人のファンがボールを投げ込んだ。ラソーダ監督が「もっと投げろ」と催促のポーズをしたからたまらない。数千個が、それも審判団や相手カージナルスの選手を目がけて投げ込まれた。

 騒動が一向にやむ気配がないため、審判団は、79年以来の没収試合を宣告。当該の責任審判は、2006年WBCの米国対日本戦などで微妙な判定を連発したデービッドソン審判だった。試合後、取材に行くと「ラソーダ監督の行為は我々を侮辱するもの」と吐き捨てた。野茂は「あんな形で終わったことより、本塁打2本打たれたことを反省。負けたから今日は0点です」と神妙だった。

 

 私にとって、それがメジャー取材の公式戦2試合目の出来事だった。ホテルからタクシーを利用。片言の英語が運転手に上手く伝わらず、降ろされたのは関係者入り口ではなく外野席の入場口付近だった。そこで時間をつぶしていた時、同じように開門を待っていたのがメキシコ人親子。拙い英語で話しかけてみると、その父親は「私が少年時代、父が(80年にデビューして旋風を巻き起こしたドジャース投手の)バレンズエラを見せてくれた。だから、自分も、異国から来たヒーローのノモを子供たちに見せたいんだ」と言う。野茂が勝てば、そのコメントを使おうと思っていたのに、思わぬ結末を迎えて、もちろんそんな話は頭から吹っ飛んでいた。

 野茂は続く15日のカブス戦で10勝目を挙げ、最終的に新人王に輝いた。それから18年後の同じ日、野茂はドジャー・スタジアムのドジャース・レイズ戦で始球式を行った。始球式後の会見で、没収試合を覚えていますか?の質問に「はい」とだけ答えたという。

 あれから25年、メジャーで没収試合は起きていない。

(蛭間 豊章=ベースボール・アナリスト)

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