【ヒルマニア】巨人「ミレニアム打線」大爆発11得点で4500勝、江藤が4戦連発…6000勝まであと1勝

自軍の猛攻に大喜びの長嶋監督(左から2人目)らベンチのナイン(左端は原コーチ、右端は高橋由)

◆巨人11―4中日(2000年6月3日・ナゴヤドーム)

 巨人は2000年6月3日の中日戦(ナゴヤD)に11―4で大勝し、球団通算4500勝を挙げた。主砲の松井秀喜を中心に、長嶋茂雄監督が命名した「ミレニアム打線」が力を発揮して他球団を圧倒。王貞治監督が指揮を執ったダイエーとの日本シリーズも4勝2敗で制した。今でも記憶に残るミレニアムイヤーの戦いに「ヒルマニア」で迫る。(随時掲載)

 前年まで3年連続V逸だった巨人は、広島から江藤智、ダイエーから工藤公康をFAで獲得。第2次内閣8年目を迎えた長嶋茂雄監督は、背番号「33」を、広島でつけていた江藤に譲り、自らは永久欠番となっていた「3」を現役時代以来26年ぶりに背負って、気持ちを新たに背水の年を迎えた。

4戦連発となる14号を放った江藤

 通算4500勝目は6月3日の中日戦。初回に高橋由伸、村田真一の適時打などで5点を先取した。3回には江藤が4試合連続アーチとなる3ランを放った。

 前日まで阪神を除く5チームが1ゲーム差の中にひしめく大混戦。巨人も首位に立って迎えた試合では6勝8敗の負け越しと、ここ一番の勝負弱さが混戦の要因にもなっていた。だが、節目の勝利でヤクルトを抜いて首位に浮上した。6月13日からの7連勝で一気に抜け出すことに成功した。

2000年6月4日付本紙

 江藤は4戦連発で14号。リーグトップの松井秀喜の17本に3本差に迫った。ミスターは試合後「ひょっとするとチーム内でタイトル争いになるよなあ」とニンマリ。この“予言”通りとなった。「ミレニアム打線」は互いの相乗効果で爆発。松井と江藤は競うようにアーチを量産した。この年、球団51年ぶりの全試合4番に座った松井が2度目の本塁打(42)と打点(108)の2冠王。江藤はリーグ3位の32本塁打、同4位の91打点をマーク。チーム新記録となる203本塁打の強力打線で4年ぶりのリーグVを決めた。

 メインイベントは日本シリーズ。かつての僚友・王貞治監督との「ON対決」は、日本中の野球ファンの注目を集めた。本拠・東京Dで開催された1、2戦は連続逆転負け。第3戦は通常なら1日の移動日があるが、福岡Dの都合で移動日なしで行った試合に9―3で大勝すると、2日空いた第4戦は斎藤雅樹―岡島秀樹の継投で接戦を勝利。第5戦は高橋尚成が、新人では史上初のシリーズ初完封で王手をかけた。勢いに乗って本拠に戻った第6戦も大勝。1980年の広島に次いで史上2チーム目となる本拠連敗スタートからの日本一に上りつめた。

 3本塁打でMVPとなった松井はシーズンでもMVPを獲得。巨人野手では77年の王貞治以来となる正力松太郎賞にも輝いた。11月3日には東京・銀座を優勝パレード。94年の17万2000人を大幅に塗り替える36万人が、ON対決を制したジャイアンツ・ナインを祝福した。(蛭間豊章=ベースボール・アナリスト)

 ◆171センチの仁志が重量打線で存在感

00年5月16日、7号ソロを放った仁志(右)

 この年、ミレニアム打線を先導したのは、1番の仁志敏久だ。主砲の松井をはじめ、清原和博、マルティネス、江藤、高橋由らが居並ぶ中、身長171センチと小柄な切り込み隊長は強烈な存在感を発揮していた。2番の清水隆行とともにチャンスをつくり、クリーンアップにつなげる重要な役割を担った。

 00年は135試合に出場し、打率2割9分8厘、20本塁打、58打点をマーク。打撃だけではなく、堅実な守備でも勝利に貢献した。中でも抜群のセンスが光ったのが、優秀選手賞に輝いた同年のダイエーとの日本シリーズだ。

 連敗で迎えた第3戦では村松の当たりを2度、スーパーキャッチして、流れを引き戻した。第4戦では松中のゴロにダイビングした。「跳ぶ方向を計算し、難しい打球を簡単にさばくのが、ファインプレーです」と言う職人は、このときも「たまたまです。巡り合わせですから」とクールに振り返った。

 2007年からは横浜(現DeNA)でプレーし、2010年には念願だった米独立リーグ、ランカスターに入団。「プロとしてアメリカの地を踏んでみたい」という夢をかなえ、試合にも出場した。パンチの利いた打撃、抜群のポジショニングとグラブさばきを誇った男は「完全燃焼した」とプロ15年目の同年、引退を表明。静かにバットを置いた。

 ◆仁志 敏久(にし・としひさ)1971年10月4日、茨城県生まれ。48歳。常総学院高から早大、日本生命を経て、95年ドラフト2位で巨人に入団し、96年に新人王。二塁手として99年から4年連続ゴールデングラブ賞獲得。2010年に米独立リーグ「ランカスター・バーンストマーズ」に入団し、同年6月に現役引退した。16年3月に筑波大大学院人間総合科学研究所の修士課程修了。14年から侍ジャパンU12監督。20年から江戸川大客員教授。

 ◆2000年の主な出来事

 ▽1月 長嶋茂雄監督の背番号として永久欠番の「3」が復活

 ▽3月 ロシア大統領選でプーチン氏が初当選

 ▽同 北海道・有珠山が噴火

 ▽同 雪印乳業大阪工場製造の低脂肪乳で食中毒。発症者は全国で1万3000人

 ▽7月 伊豆諸島・三宅島で雄山が噴火

 ▽同 2000円札発行

 ▽9月 シドニー五輪開幕。日本は金5、銀8、銅5の計18個のメダルを獲得した

 ▽同 巨人が4年ぶり29回目のリーグ優勝

 ▽10月 鳥取県西部地震が発生

 ▽同 巨人が初のON対決となったダイエーとの日本シリーズを制し、6年ぶり19度目の日本一

 ▽11月 オリックスのイチローが米大リーグのマリナーズ移籍

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蛭間 豊章
 (ひるま・とよあき)1954年3月8日、埼玉県生まれ。名門・大宮高野球部は1年で退部したが、野球への愛着が募り、73年報知新聞社入社。記録記者、MLB専門記者と野球一筋。野球知識検定3級。ウェブ報知内のブログ「ベースボール・インサイド」(https://weblog.hochi.co.jp/hiruma/)や野球コラムも執筆中。愛称は「ヒルマニア」。

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