笑いにささげた志村けんさんの人生 志半ばの、唐突な結末もまた、永遠に語り継がれていく…記者の目

「いかりや長介さんを偲ぶ会」(左から)高木ブー、加藤茶、仲本工事、志村けん(05年3月撮影)

 訃報を聞いて20年前の2月、静岡・伊東市で営まれた元ドリフのメンバー、荒井注さん(74年脱退、享年71)の告別式取材を思い出した。リーダーだったいかりや長介さん(享年72)は、荒井さんの遺影に向かって語り掛けた。

 しかし、何だね。あんたは偉い人というか、変な人というか。ドリフターズがからっけつで始まって、何とか先が見えてきてこれから金ももうかるぞって時だった。飛行機でいえば、動き始めて離陸する一番しんどい時に一緒にやってきたのに、ようやく楽に飛び始めて走り出したと思ったら「辞める」なんて言い出して。

 その時、私はあんたの人生哲学ってのが全然理解できなかった。「なに、言ってんだ!」と思った。あんたはあの時、条件出したよな。「極力迷惑かけない辞め方する」って。「お礼奉公するよ」って言ってくれたよな。あの半年間のあんたのがんばり、それはすごかった。本当におもしろかった。鬼気迫るものがあった。あの半年間、あんたがあんまりにおもしろいんで、ひょっとしたら(辞める)気が変わってくれるかと思った。けれど、ついに言い出すことはなかった…。

 大きな喪失感。荒井さんに代わって加わった志村さんは、とてつもない重圧の中、18歳年上のいかりやさんとも張り合った。「8時だョ!全員集合」。それは途中参加メンバーであることなど、完全に忘れさせるものだった。

 そんな裏話など知るよしもない。昭和40年代生まれの当時小学生は土曜夜8時が来ることが、どれほど待ち遠しかったか。東村山音頭、カラスの勝手でしょ、I MY MEを変形させたアーミーマー、加藤茶とのヒゲダンス…。「ドリフを見たらバカになる」と教育界から攻撃もされたが、そんなことお構いなしだった。

 おなかを抱えて笑うこと、笑い過ぎると涙が出て腹筋が痛くなることも知った。まるで笑い袋が壊れたように笑っていた。しかし何より、笑えば人間は幸せな気分になる、ということを教えてくれた。エンディングで加藤が「歯みがけよ、宿題しろよ」と言えば忠実に守ろうと思った。いまでは想像できないが、公開生放送という緊迫感での展開も、笑いの緩急を生んでいたのだと気づかされる。

 あのころ、あの時代。高度経済成長期が落ち着き、先進国の仲間入りを果たし、ベビーブームも始まっていた。敗戦した日本が豊かになり、世界に向かって輝き出したころと重なる。全員集合が終わったのは85年。あれから35年間もの年月。ひたすら笑いにささげた人生。志半ばの、唐突な結末もまた、永遠に語り継がれていくのだろう。(編集委員・内野 小百美)

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