中村梅丸「幸せをかみしめて舞台に立ちたい」…一般家庭から梨園へ、大抜てきの理由

中村梅玉(右)と会見した中村

 独特の世界観を持つ歌舞伎。昨今の盛り上がりは、400年の歴史でも最高レベルともいわれる。伴って演劇担当記者の歌舞伎取材も増加中。気になった話題を取材ノートを通し、クローズアップしてみる。

 若手成長株の中村梅丸(23)は、一般家庭から梨園へ。中村梅玉(73)の部屋子を経て養子となり、11月に初代「莟玉(かんぎょく)」を名乗ることが発表。“幹部候補”の仲間入りを意味するもので、松竹幹部は「活性化のために重要」と今後も抜てきを続ける意向を示した。

 片岡秀太郎(78)の養子になった片岡愛之助(47)と似たケースだ。後継ぎがいなかったことも両方、共通する。これから目指す人には輝ける希望の星に違いない。しかし、どれほど才能があったとしても、即抜てきされることはまずない。じっくり時間をかけた経験、何より求められるのは覚悟だろう。

 梅丸の場合、2歳でテレビなどで「まだ言葉を覚えてないのに、見るのも聞くのも楽しい歌舞伎にハマってしまいました」。3歳で歌舞伎座観劇デビュー。将来の夢をウルトラマン、電車の運転手、歌舞伎俳優と答えれば「ウルトラマンと同じくらい歌舞伎俳優になるのは難しいのよ」と言われて育った。

 梅玉との出会いは7歳。黒子の衣装を作ってもらい土日は楽屋などで“修行”を始めた。梅玉は「1年もすれば飽きるだろうと思ったが違った」と回想する。強制でなく自ら望んで歌舞伎の空気に触れてきたことが礎になっている。

 本人は「どんな形でも歌舞伎に携われれば」とシンプルな将来像を描いていた。芸に向き合う真摯(しんし)さは周囲も認めていた。新しい芸名の動きは2年前。本人には昨年伝えられ、心の準備期間もあった。「幸せをかみしめて舞台に立ちたい」。会見で見せたすがすがしい笑顔に決意がのぞいた。(内野 小百美)

 ◆中村 梅丸(なかむら・うめまる)1996年9月12日、東京都生まれ。23歳。2005年「御ひいき勧進帳」に森正琢磨の名で初舞台。06年梅玉の部屋子となり、梅丸を名乗る。近作に「NARUTO―ナルト―」など。「莟玉」は戦後女形の最高峰、6代目中村歌右衛門の自主公演「莟(つぼみ)会」より。「6代目に近づき大輪の花を」の願いが込められている。高砂屋。

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