明大・田中監督、就任1年で舞った「恥ずかしい」

優勝の胴上げをされる明大・田中監督

◆大学ラグビー ▽決勝 明大22―17天理大(12日・秩父宮)

 明大が天理大との激闘を22―17で制し、22季ぶり13度目の復活優勝を果たした。先制トライを許した前半を12―5で折り返し、重戦車FWと俊敏BK陣で猛攻を重ねた。後半の残り11分間に猛反撃を受け17点差から一気に5点差まで詰められたが、鉄壁防御で初制覇を狙った関西王者を退けた。名将・北島忠治監督が亡くなった96年に生まれたSH福田健太主将ら4年生たちが復活への大役を果たし、前回優勝後「人材の墓場」とも言われた汚名を返上。平成最後の大学日本一に輝いた。

 就任1年目で明大を復活Vに導いた田中監督は胴上げで3回、宙を舞った。チームの前回優勝は自身が3年生でSHとして出場した96年度。母校の再生を胴上げでたたえられ、「恥ずかしい」と笑った。前監督の丹羽政彦氏に依頼され就任。それまでサントリーで新卒採用を担当していた。指導者のお手本はエディー・ジョーンズ氏らサントリーの歴代指揮官。「エディーの準備と計画、逆算の考え方」に多くを学んだ。

 4時半に起床し、5時過ぎにグラウンドへ。帰宅は午後10時過ぎ。10歳の長女と7歳の長男を持つ父は「自分の子供より学生の面倒をみてる。うちはほぼ母子家庭の状態」と笑う。

 学生を採用してきた目で後輩たちを分析してきた。「明治は個人主義という空気があって、そこを何とか変えたいと思った」。メンタル面の講義を受けさせ、生活を改善させた。今時の学生のために管理は全員が閲覧できるスマホのクラウド上で行い、実践率のパーセンテージも見させた。

 座右の銘は「前へ」と、サントリーで学んだ開拓精神「やってみなはれ」。田中監督は「この2つの言葉は自分を奮い立たせるもの」と語った。

 ◆田中 澄憲(たなか・きよのり)1975年12月28日、兵庫・伊丹市生まれ。43歳。報徳学園高から94年明大入学。大学選手権は2、3年時に優勝を経験し、主将だった4年時は準優勝。98年にサントリー入り。12季プレーし、10年度限りで引退。サントリーのチームディレクターなどを経て、17年度より明大ヘッドコーチ、今季から監督。現役時代はSH。日本代表キャップ3、7人制W杯に2度出場。

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